2018年11月5日月曜日

一生やりつづけたい仕事。 使いやすさにこだわる「やさしい器」をつくる鈴木ご夫婦の川上村での暮らしとは。

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は「いにま陶房」の鈴木雄一郎さん・智子さんをインタビューし、インタビューに参加した3名(冨羽一成さん、山口桃佳さん、山本英貴さん)が記事を作りました。川上村のホームページには山本さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、山口さんが作った記事を掲載します。


一生やりつづけたい仕事。
使いやすさにこだわる「やさしい器」をつくる鈴木ご夫婦の川上村での暮らしとは


私たちは今回、川上村役場から車で10分ほどのところにある、陶芸家の鈴木ご夫婦が拠点として活動されている「匠の聚」のアトリエへと向かった。

「匠の聚」とは川上村が1999年からはじめた取り組みで、芸術家の居住、創作の場としての活動拠点を提供している。アトリエ8棟と「匠の聚」アーティストの作品の常設展示するギャラリー、カフェ、工房室、研修室がある。その他にも来客者の宿泊施設、コテージ(5棟)その他、穴窯、イベント広場、駐車場等も用意されている。現在は、日本画・彫刻・陶芸・イラストレーター・木工・木彫に取り組む作家8人が入居しているという。


車を降りて、お2人のアトリエ「いにま陶房」へ。
暖かい日差しの中一面に山や美しい自然が広がる、手作りのお皿やカップが机に並んだバルコニーに案内してくれた。

● 土が好き

ご夫婦は元々、食器ではなく、オブジェなどのアート作品を作っていたそう。
「公募展に出したりして、自分の頭の中のモヤモヤを発散するように、ものづくりをしていた。自己満足だけ」という。


夫の雄一郎さんは、大学のデザイン科を卒業後、信楽の窯元に修行へ。
「子供ながらに、美術を仕事にしたいと思っていた。色んな素材をいじりながら。絵を描いたり、ガラクタを組み合わせたり、電気じかけのものを作ったり。たまたまテレビでロクロを見た時に、土を触りたいと思い、信楽の窯元に就職して焼き物を作っていた。仕事が終わった後、夜の時間に自分でものづくりをしていた。」と雄一郎さん。

智子さんは「子供の時からロクロの映像や吹きガラスなどをなぜか気になって、テレビでよくみていた。自然と、高校になったら陶芸の方向に行きたいと思っていた。土を触っていると気持ちが落ち着く。自然と一緒にいる時が一番自分らしくいられる。自然に触れ合いながら作品を作るということが好き。土に触っている時間も好き。土という素材に惹かれている。」という。

そんな中で職場の同僚だった2人は結婚。智子さんは、結婚後1年間は主婦として生活する傍ら、趣味で陶芸を続けていたという。

●独立を目指して川上村へ

結婚し、夫婦で5年後の独立を目指していた時、新聞で「匠の聚」の募集を知り、応募。智子さんの後押しもありそのまま移住したそう。
陶芸をするためには、窯やある程度の作業スペースも必要。都会でそのような場所を確保するのは難しく、「匠の聚」の環境はすごく恵まれたものだったそう。
しかし、川上村に移住後も独立することへの不安は大きく、生活が安定するまでは節約しながら生活をしていたという。

●「人は追い込まれたときじゃないと、色んな事を考えないと思う。」

雄一郎さんのこの言葉がとても印象的だった。

全国各地の陶器市や百貨店の催事に出店するなど、少しずつ販路を広げていく。また20年前、まだインターネットも今ほど普及していない時に、自分たちのWebサイトをつくるなど、試行錯誤しながら挑戦された。そんながむしゃらに陶芸に没頭する時間が、達成感に繋がっていったという。

「何者かにならないといけない。4年間はずっと必死だった。」と。

「「クラフトフェア松本」に出ることができたのは大きかった。」と雄一郎さん。クラフトフェア松本とは長野県松本のあがたの森で催されるクラフト市。野外のイベントで200人程の作家が参加する登竜門のようなイベント。出展できたことで仕事が広がっていった。

今では「使いやすさ」を追求しているという鈴木ご夫妻だが、その当時は食器や花入れなどを作っていて、土のゴツゴツとした質感の残るような器やインテリア用のオブジェなどアート系の作品が多かったという。

●使いやすさへの追及

移住してから4年後、お子さんが生まれ、自然と食器のバリエーションが増えていったという。また、智子さんが病気にかかり一時期、手が自由に動かせなくなった辛い経験から、手に障害のある人でも食べやすいユニバーサルデザインの器を意識するようになったという。使った時の持ちやすさ、手の添えやすさなど、使った時にさりげなく感じることのできる「使いやすさ」「器からの安心感」を大切にしている。


●20年たって見えてきた大台ケ原の景色

「この間、大台ケ原に約20年ぶりに登ったが、初めて来たときは景色を見る余裕もなくて何も覚えていなかった。けど、今回はじっくり眺めることができた。素晴らしい景色だった。今まではそういう所に目を配れていなかった。」と智子さん。

余裕がなくアトリエにこもりがちだった生活から、お子さんができたことで、少しずつ行動範囲が広がり地域の人々との繋がりもできてきた。いろんな人がいる、こんな考えの人がいる、お互いを知っていく事で、暮らしやすくなったという。今では、村内外の方々が参加する陶芸教室を開催したり、匠の聚の作家と村内をまわる出張教室も行っている。

「何をするにも時間はかかる。時間をかけて見えてくるものがある。それぞれが暮らす場所を選び、自分がいる場所を知り、大切と思える事」と雄一郎さん。

(左)鈴木雄一郎さん(右)智子さんご夫婦


●「一生やり続けたい」こと

今回のインタビューで、 独立や生活への不安感、ご自身のご病気などで「余裕がなかった、落ち込んでいた時期もあった」という言葉を何度も聞いた。私には想像してもしきれないとても苦い時期を過ごされてきたのだろうと思うと、そんな時期を乗り越えて今お2人が言う「今やっていることを一生やり続けたい」という言葉はとても簡単に言えるものではないのだろうと思った。

自分の人生で一生やり続けたいことを見つけられるかも分からないし、そのために困難や苦しさに立ち向かえるかもわからない。でもそんな時があったら、「余裕」を見つけられるまでこだわって頑張ってみたい、鈴木さんご夫婦の言葉を思い出したいと思った。

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