手づくりの幸せが息吹く、豊かな暮らし。
山の上で紡がれる「あたらしい家族」形とは?
いま、自分の胸に手を当てて、耳を澄ませて、ちょっぴり聴いてみましょう。
さて、答えは出ましたか?
この問いにすぐ答えられるひとは、あまり多くないように思います。
わたしも、そのうちの1人でした。
でも今回のインタビューを通じて、わたしの「しあわせ」の輪郭が、昨日より少し浮き彫りになった。
「いらっしゃ〜い!」
秋晴れの昼下がり、私たちを笑顔で手を振りながら迎えてくれたのは、孝則さん。
わざわざ、家の下まで降りて迎えに来て下さっていた。
目の前に映る、伸びやかに広がる青空と山のように、心にさわやかな風が吹いた。
今回、お話を聞かせていただいたのは、早稲田緑さんと、大辻孝則さん。
お二人は世間でいう、「事実婚」をされているご夫婦だ。
みきと君という保育園に通う息子さんと、おなかの中にもう一人、お子さんがいらした。
ひとことで2人を表現すると、風の人と土の人。
山の上の暮らしには、昔ながらの先人の知恵のもとに、二人にしか生み出せない風土が根付いていた。
早稲田緑さんは、東京生まれ東京育ちの超都会っ子。
新卒で東京の翻訳会社で営業として3年勤めていた。ご自身でも「バリバリの営業マン」だったと言う。現在は、企画会社に週4回在宅勤務で勤める正社員である。
一方で、大辻さんは川上村生まれ。一時期大学で大阪に出てはいたが、川上村へUターン。はじめは林業の仕事を行った後、10年以上川上村の役場に勤めている。
正直経歴を聞いただけでは、
二人は一見正反対に見えた。
活動的で社交的な、緑さん。
比較的物静かで職人気質の、孝則さん。
2人が出会い、なぜ一緒になったのか気になった。
でも話を聞いていくと、腑に落ちていった。
ふわふわ海にコインが沈むように、ゆったりと理解できていった。
いのちの根っこの部分がぴったり重なっていたのだ。
「自分の心地よいところまでしかやらないと決めています。」
緑さんが、芯の通った声で、澄んだまなざしで言う。

「例えば、100円しか持ってなかったとすれば、どれだけソーシャルなものが200円だとしても、それは買えないですよね。だって、100円しか持ってないんですもん。(笑)だから100円しか持っていなければ、その範囲でできることをする。それはみんな一緒だと思います。」
続けて緑さんは言う。
「こう、なんというか、やってみるしかないというか。自分が生きてみるしかないんですよね。」
自分の身の丈を理解しているからこそ、
伝えられるメッセージの力強さや信憑性みたいなものが、不純物がない形で生まれてくるのかもしれない。
人が表面的に見えている言葉や考えは、その人を形成している概念の2割だと言われる。
だからこそ、8割が持っている「じぶん」をできるだけ表現していく。
緑さんは、そのプロセスの中で「生きる」ことを、一歩ずつ、たいせつに、暮らしの中で、踏みしめていた。
《ひとが、ひとで、あれるように。》
この一貫した考え方のもと、ご夫婦の暮らしは紡がれてきていた。
例えば家族会議。
なんと毎月話し合いをして、議事録を書いている。
(実施日、実施時間、議題、などものすごく本格的な記述だった。(笑))
その議事録はリビングの壁に見えるように飾られている。
項目は、今月できたこと、やり残したこと、気になっていること、すぐにやりたいわけではないけどゆくゆくやってみたいこと、など。
そして驚くのが、収入は別家計簿ということ。
支出も役割分担。
家計簿は、互いに見せられるようにしているそうだ。
「家族を養うために仕事をしているわけではないので。自分のパフォーマンスに対しての対価をいただいているだけ。この土地にはこだわっていません。」孝則さんは、話す。
やりたいことを、お互いにやる。
その哲学が貫かれていた。

ひとりだけど、ふたり。
ふたりだけど、ひとり。
このことばが、ぴったりだった。
●川上村という土地が自分たちの幸せにたまたまフィットしただけ。
では、なぜこの川上村という舞台で暮らしを営むのか。
答えを聞いてかなり驚いた。
川上村を元気にしたい!という力んだ発想ではなく、高原に住まう二人。
自分たちの幸せにとって、川上村という土地がたまたまぴったりだった。
チューニングした結果、川上村の高原、という土地だった。
なんてシンプルなのだろう。
「ぼくたちね、余計なもの持ってないんです。」
孝則さんは言う。
「家賃を払うために働くことはしたくなくて。それは、ぼくたちにとっては幸せじゃないんです。動きやすく、身軽に生きたいんですよね。」
ミニマリストが謳われるこの世の中で、
孝則さんの言う「身軽さ」は少しそれとは違う気がした。
純粋に生きるための「必要なもの」だけを、大切にしたい。
それは、愛する家族や、美味しい空気や水、自分らしくあれる自然の景色。
ミニマムではなく、マスト。
必要最低限まで、マストを淘汰して、その結果「身軽さ」を手に入れていた。
続けて孝則さんは言う。
「水が出るのも当たり前、電気がつくのも当たり前。電車も少し遅れたら謝ってもらえる。お金の対価としてサービスを受けている。でも、もし「やーめた」と言われれば終わりですよね。依存しすぎだと思うんです。」
たしかに、そういわれてみれば、、とはっとする。
孝則さんの持つ生命力の強さ。
それは、自然豊かな川上村だからこそ生まれた、ひとつの大きく広い愛の形にも思えた。

事実婚を選んだ理由も、そうだった。
「自治体が管理をするために導入した制度ですからね。特に必要ないと思ったんです。」
私たちは知らず知らずのうちに、
「誰かの都合」で生きている時間が増えてしまったのかもしれない。
私は、25歳社会人3年目の独身女性。
結婚、出産、仕事。。。
ライフスタイルを、どうやってデザインしていけばいいか悩みもがいていた。
今回のインタビューで、ひとつ気づいたことがある。
それは、自分のしあわせは、必ずしも「多くの人が望むこと」とイコールではないと。
自分のしあわせは「手づくりしていく」ということだと。
では、どう手づくりしていくのか。
それは、自分と対話するしか方法はない。
いま世の中はどういう状況なのか、
これからどんなことが人の役に立つのか、
自分はどんな風になりたいのか。
ひとつひとつ、緑さんと孝則さんは、
世の中への問いと自分たちの答えを持っていた。
私の好きなコピーライターに、岩崎俊一さんという方がいる。
その方の本の一説に、こんな一文があったのを、ふと思い出した。
「幸福になること。人は、まちがいなく、その北極星をめざしている。」
北極星は常に変わらない位置にあるらしい。
つまり消えることはない。見えないときは見えてないだけなのだ。
緑さん、孝則さん、みきとくん、おなかにいる赤ちゃん。
奈良の山奥にある一軒家から、たしかにひとつのきらりと瞬く北極星を目指していた。

そんなとき、ポツと疑問が浮かんだ。
結婚とか出産とかって、わたしにとっての北極星だったっけ?
いや、待てよ。
それをするためにわたしは生まれてきたんじゃない。
では何のため?
自分が幸せになるために生まれてきたのだった。
あたりまえのことをすっかり忘れかけていた。
「自分の幸せ」へ歩んでいく中で、
愛する人と一緒に生きること、
その人との間に命を授かること、
それが自然発生的に生まれてくるだけだ。
なんだか、一気に肩の荷が下りた気がした。
「私は、ひとりの人間として、幸せという名の北極星に向かって歩めばいい。それだけだ。」
最後に、みきと君のすごいところを、私はどうしてもこの記事で伝えておきたい。
お二人の息子さん、みきとくん。
月並みの表現にはなるが、ほんとうに食べちゃいたいくらい、かわいい。
人懐っこく、だれにでもフレンドリー。
この、のびのびとした性格は、高原の自然豊かな景色を毎日見ながら育っているからなのかもしれない。常にご機嫌だそう。
彼がひとこと発すると、どこか澱んでいた空気が、すっと清らかになる。
まるで、山から流れ出てきた湧き水のように。
まるで、魔法つかいみたいだった。

そんな彼は、アンパンマンのおもちゃ携帯を手にして、
インタビュー中もひたすら私たちの集合写真を撮ってくれていた。
(もちろん現実世界には写真は存在していない。(笑))
それも、なかなかにいろんなルールがあった。
写真を撮る時には決まって、被写体の私たちは、この言葉を言わなければならない。
「みぃきぃとぉのしゃしん〜〜!ぱしゃ!」
なぜいうかは、謎だ。
でもこのかけ声の周りには、美しくきらきらしたものが漂っていた。
陽の光に当たる、シャボン玉みたいに。
みんなの嬉しそうなかけ声と、
ひろと君の笑い声が響く山の上。
そこには、たしかに、ありありと。
心を緩やかにしてくれる幸せが奏でられていた。
その時、気づいてしまった。
「いや、みきとくんの撮った写真は、たしかに存在してる。」と。
目には見えないかもしれない。
でも、あたたかくふんわりとした何かが、
彼の目にはその瞬間、確かに写っていたのだ。
くっきりと鮮明に、彩られているんだ。
だから、写真を撮り続けているのだと。
「写真ってこの携帯で本当に撮れてるんですか?」と、
緑さんに聞いてしまった自分がなんだか、とってもちっぽけに思えた。
そんなみきとくんが、秋晴れの空のもと、
私に「どうじょ」と、小さな手から渡してくれた柚子からは、山の上の手づくりの幸せが、今も香る。

生きることは、簡単ではない。
でも、一つわかったことがある。
ほつれたら、縫い合わせればいい。
壊れたら、修理すればいい。
なければ、つくってみたらいい。
「自分の幸せ」を、こつこつ手づくりしてみませんか?
これがきっと、自分の北極星に向かって、豊かな暮らしを手作りする一歩になるのかもしれません。
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