やりたいことをやる。川上村で見つけた、これからの地域おこし
この3人に共通するのは「地域おこし協力隊」として川上村にやってきたことだけ。出身地や今の活動も異なる3人ですが、このインタビューを通じてある共通点が見えてきました。
●3人が川上村にやってきたきっかけといま
エコツアーガイドとして川上村の自然の魅力を案内している竹中さん(あだ名はちくちゅーさんです)は、以前は大阪でサラリーマンとして会社に勤めていたそう。
ちくちゅーさんが自然の魅力にはまったのは、大学生のとき。
根っからの文学少年だったちくちゅーさんは文芸部への入部を希望し、部室を訪れたそうですが、部室が閉まっていたそう。そこで山岳部に勧誘されそのまま…。そこから自然の魅力にはまっていったそうです。
川上村のことはたまたま「日本仕事百貨」のイベントで知り、行ってみた、とのこと。思っていたよりもスギやヒノキが多く、ちくちゅーさんのイメージとは少し違った部分もあったようですが、初めて知ることも多く、勉強になる、と移住を決めたそうです。
岩本さんも同様に「日本仕事百貨」のWEBサイトでたまたま川上村のことを知ったそうです。はじめは地域おこし協力隊という制度も知らなかったそうですが、元々地域に住んでみたいという気持ちがあったそうです。そこでFacebookで川上村の地域おこし協力隊が活動する様子を見たり、村長へのインタビュー記事を読んだりして、川上村への移住を決めたそうです。
いまは集落支援員として『やまいき市』というプロジェクトに取り組まれています。地域の人が育てた野菜や特産品を青空市で販売するプロジェクトです。野菜や農業については詳しくなかったそうですが、今までにない経験ができることに魅力を感じ、前任の協力隊員から引き継いでこの活動を続けているそうです。
エリックさんはアメリカのロサンゼルス出身。以前からの友人だった地域おこし協力隊の1期生の方の結婚式を機に川上村を訪れ、村の魅力を知ったそうです。元々は会社で翻訳の仕事をしていたそうですが、日本語は英語と比べて1つの単語にたくさんの意味があるため、余計な情報を入れてしまって上司に怒られることがあったそう。そんなときに協力隊の応募が始まったことを知り、自分の言葉で日本語の魅力を活かした翻訳や文章を書き、発信したいと思い、応募したそうです。
現在は翻訳・通訳の仕事のほか、『anaguma文庫』にて日常の生活をつづったり、「月刊ソトコト」にて『上流の日々』を連載したり、『オイデ新聞』を発行したり、日本語と英語で村の魅力を発信しています。2019年の3月に協力隊の任期を終え、4月からは岩本さんと同じく集落支援員として川上村での生活を続ける予定だそうです。
(左からエリックさん、岩本さん、竹中さん)
ちくちゅーさんが自然の魅力にはまったのは、大学生のとき。
根っからの文学少年だったちくちゅーさんは文芸部への入部を希望し、部室を訪れたそうですが、部室が閉まっていたそう。そこで山岳部に勧誘されそのまま…。そこから自然の魅力にはまっていったそうです。
川上村のことはたまたま「日本仕事百貨」のイベントで知り、行ってみた、とのこと。思っていたよりもスギやヒノキが多く、ちくちゅーさんのイメージとは少し違った部分もあったようですが、初めて知ることも多く、勉強になる、と移住を決めたそうです。
岩本さんも同様に「日本仕事百貨」のWEBサイトでたまたま川上村のことを知ったそうです。はじめは地域おこし協力隊という制度も知らなかったそうですが、元々地域に住んでみたいという気持ちがあったそうです。そこでFacebookで川上村の地域おこし協力隊が活動する様子を見たり、村長へのインタビュー記事を読んだりして、川上村への移住を決めたそうです。
いまは集落支援員として『やまいき市』というプロジェクトに取り組まれています。地域の人が育てた野菜や特産品を青空市で販売するプロジェクトです。野菜や農業については詳しくなかったそうですが、今までにない経験ができることに魅力を感じ、前任の協力隊員から引き継いでこの活動を続けているそうです。
エリックさんはアメリカのロサンゼルス出身。以前からの友人だった地域おこし協力隊の1期生の方の結婚式を機に川上村を訪れ、村の魅力を知ったそうです。元々は会社で翻訳の仕事をしていたそうですが、日本語は英語と比べて1つの単語にたくさんの意味があるため、余計な情報を入れてしまって上司に怒られることがあったそう。そんなときに協力隊の応募が始まったことを知り、自分の言葉で日本語の魅力を活かした翻訳や文章を書き、発信したいと思い、応募したそうです。
現在は翻訳・通訳の仕事のほか、『anaguma文庫』にて日常の生活をつづったり、「月刊ソトコト」にて『上流の日々』を連載したり、『オイデ新聞』を発行したり、日本語と英語で村の魅力を発信しています。2019年の3月に協力隊の任期を終え、4月からは岩本さんと同じく集落支援員として川上村での生活を続ける予定だそうです。
●川上村にやってきて、それから
そんなこんなで川上村にやってきて、生活をつづける3人ですが、地域おこし協力隊の任期は一般的には3年とされています。
地域おこし協力隊の約4割は任期を終えるとその地域を離れてしまうそうなのですが、任期が終了してもなお、
川上村に残る理由は?
想像と違ったところはなかったのか?
いまの活動を続ける理由は?
そんなことについても聞いてみました。
ちくちゅーさんは川上村の「顔が見える距離感が好き」だといいます。
てっきり村の自然の風景や、ゆたかな緑、などといった答えが返ってくるのかと思いましたが、ちくちゅーさんとしては、イメージしていた「山」とは少し違ったそうです。思っていたよりもスギやヒノキが多く、広葉樹が少ない、とのこと。それでも村での暮らしをつづけようと思ったのは「顔が見える距離感」がよかったと思ったから。
以前大阪に住んでいた時は向かい側に住む人の顔を2回くらいしか見なかった、と。それに対して川上村には近すぎず、遠すぎない、程よく顔が見える距離感があり、今では大阪よりも地元のように感じていて、川上村こそ自分がいるべき場所だと思えたそうです。
協力隊はあくまで手段であった、というちくちゅーさん。協力隊という制度を通じて自分が何をしたいのか、が大事だというちくちゅーさんは、協力隊着任初年はいろんなところに行った、といいます。任期を終える3年後のことはそのときはなにも考えていなかった、といっていましたが、自分の好きな場所で、好きなことを仕事にしている。多くの人が理想的だと思いそうなことを、ちくちゅーさんは川上村でかなえることができたのではないでしょうか。そこにはちくちゅーさんの好きなことに対する愛情と情熱があったからだと思います。
次に岩本さんに川上村の魅力について聞くと、「正直わからない」との答えが返ってきました。
それでも任期を終えても川上村に残ることを決めたのは、協力隊としての3年間でつくってきた村の人たちとの関係性、そして活動を応援してくれた人たちの気持ちに応えたい、という思いがあったそうです。そのつながりを捨ててでも都会に行こうという気持ちにはならなかった、だから村での暮らしや『やまいき市』の活動を続けている、とのことでした。
任期を終えるとき『やまいき市』をどうしようかと悩んだ、という岩本さん。それでも活動を続けることを決めたのは、野菜を出してくれているおじいちゃん・おばあちゃんたちがいたからだといいます。野菜を袋詰めして値札を貼って、という大変な作業を5年間毎週続けてきてくれた人たちのために、「やまいき市」を続けていくことを決めたそうです。
「いまは野菜をどれだけ売ることができるか、それだけを考えて毎週やっている。」という岩本さん。
『やまいき市』の名前の由来は「山いきさん」という言葉で、山に行って間伐や枝打ちなどを行い、山を生かす林業のプロのことをいいます。ちくちゅーさんも言っていたように、川上村の山々にはたくさんのスギやヒノキが茂っていますが、岩本さんはそういった直接的に木に触れる林業ではなく、山でできた野菜の販売を通じて山を活かしている、「山いきさん」なのではないかと思いました。
最後にエリックさんに聞くと、「好きなことをやっている人が多いところ」だといいます。
エリックさんが教えてくれたのは、川上村でとち餅をつくる方の話でした。とち餅づくりは夏が終わると、3か月かけてあく抜きをしなくてはいけないなど、とても面倒で大変な作業。でもその人はすごく楽しそうにその話をしてくれた、といいます。それは他人から見れば大変な作業であっても、自分にとって楽しくて、好きなことであるからやっていること。そんなふうに自分の好きなことをやっている人がたくさんいるところが川上村の魅力だとエリックさんは教えてくれました。
エリックさんは村の方から、「村に残ることが申し訳ない」「自分の人生を犠牲にしなくていい」と言われたことがあるそうです。村のために活動することがいいのか、ここにいてはもったいないのではないか、と言われることも。
でもエリックさんは自分が今の活動が好きだから続けている、といいます。エリックさんにとって村についての文章を書くことも、村での生活をつづけることも、どちらも自分が好きでやっていることなのです。誰かに強要されたわけでも、何かを我慢しているわけでもない。
自分の好きなことを、自分が好きだから続けている。そんなエリックさんが優しい日本語でつづる村についての記事からは、好きなことと好きな場所への愛に満ちた想いが伝わってくるような気がしました。
●川上村でのこれから
最後にこれからの展望についてお聞きしました。
ちくちゅーさんは、「とりあえず続けたい」。
「年間に数百人のお客さんが来てくれていて、リピーターも多い。3人兄弟の1番下の子が年齢制限を下回ってしまうこともあり、参加できなかった人が数年後その子をまた連れてきてくれる時にもちゃんとツアーをやってていたい。子育て世代が子どもと一緒に来てくれることが多く、数十年後、その子供たちが大人になった時にもやっていたい。」
はじめた当初は、村の人から「それが仕事になるのか」と言われることもあったそう。村の人にとって山は林業の場所であったため、山でのツアーが仕事になるというイメージがなかったそうです。ダムに対するイメージも賛否があるため、ダム湖を使ったカヤックに対してよく思っていない人もいたという。
だけど、「今のフィールドをもっと深堀りして、すべての魅力を知り尽くしたガイドになりたい。天候に左右される不安定な仕事だけど、これからもプラスαを考えて、奈良県の自然のスペシャリストになりたい。」
ちくちゅーさんの語る夢はまるで海賊王を目指す船長のように壮大だと思いました。
座右の銘は「過程を楽しむ」。途中のプロセスも楽しみながら10年、20年と続けていきたい、そう語るちくちゅーさんの自然を愛する気持ちや行動力は、いつか奈良県が自然観光大国になりそうな、そんな予感さえ浮かぶ、大きく、計り知れないものでした。
岩本さんは『やまいき市』のこれからについて、とりあえず後輩の協力隊員が活動を引き継いでくれることになった、と一安心した様子でした。
「『やまいき市』の主役は野菜を出しくれるおばあちゃんたちだから、今よりもさらに活動に参加してもらい、一緒になって盛り上げていきたいと思っている。いまは任意団体だけど法人化していきたい。」
『やまいき市』に買いに来てくれるのは村の人が多いそう。買いに来てくれるのはうれしいし、アンケートにはもっとこんな野菜も欲しい、とか品数を増やしてほしいなどといった声もあり、それに応えていきたいと思っている、と語る岩本さん。引き継いだあともきっと変わらず、『やまいき市』の活動に燃えていそうな気がしました。
ちくちゅーさんの燃え盛るような熱とは違い、密かに燃えたぎる気持ち、という印象が岩本さんにはありました。川上村で好きになった人たちのために活動する岩本さんは、川上村の新しい形の「山いきさん」としてこれからも密かに情熱を燃やしているのではないでしょうか。もしかしたら数年後には野菜を作る側になっているかもしれないし、『やまいき市』のフィールドから別のフィールドになっているかもしれません。そんな未来は岩本さん自身も想像していないことかもしれませんが、大切にしたい人たちのために活動する川上村の新しい「山いきさん」の今後に大注目です。
エリックさんは4月から集落支援員になり、協力隊よりも収入が減るので仕事を増やしたいと考えている、と言っていました。
「ソトコトの連載や『オイデ新聞』の発行などは〆切があるのに対し、自分のブログや冊子は期限がないのでそこが難しい。」と言っていましたが、日本人よりも日本語を愛し、川上村を愛するエリックさんの書く村についての文章をわたしはもっと読みたいと思いました。
「みんなにやさしくしてもらったので村のために何か返したい」その想いから始まった『anaguma文庫』や『オイデ新聞』。『オイデ新聞』も元々は「川上村においで」というのが名前の由来だそうで、村の魅力が発信されていないのがさびしい、といいます。
「吉野林業500年の歴史など、川上村にはすごいところがたくさんある。でもそれ以外にももっと魅力がる。自分が住んでいるのは平均年齢72歳の集落だけど、夜になると集落が真っ暗になるので、区長が空いている東屋に電気を通して人が集まれる場所をつくった、などという話はメディアには出てこない。」
だから自分が村の魅力を発信していこう、とエリックさんは文章を書き始めました。川上村での「あそこのあの人」や、「あ~あの人ね」などという話は英語で表現するのは難しいところがあるそう。でもそこが日本語の魅力だというエリックさんは、これからも川上村という奈良の山奥から村の魅力と、日本語の魅力を世界中に発信してくれるのだと思います。
●村のためよりも…
今回のインタビューを通じて私が感じた3人の共通点は、自分の好きなことを自分がしたいからしている、ということです。
「地域おこし」というと
その活動は地域にどんなメリットがあるのか
その活動をすることで地域にどんな効果が見込めるのか、
こういったことが重要視される傾向にあると思います。
しかし今回インタビューした3人をはじめとする、川上村で活動をする人の多くは
「自分が好きで、やりたいからやっている」
そういった想いを持つ人が多いように思いました。
自分がしたいことを精いっぱいやる、多くの人のそんな想いが詰まったこの村は、いろんなものが揃っている都会よりも魅力的にわたしは感じました。
4月から大学の4回生になり、まわりが就職活動をはじめたわたしは
〈自分がやりたいことをやるというのは、大人になればできなくなるんだな〉
そう思っていたのですが、どうやらそんなことはないようです。
好きなことへの愛情と情熱を忘れず、好きなことに全うする、
社会に出るにおいて大切なことを教えてくれた3人にお話を伺えたこと、そんな機会に巡り合えたことに感謝したいと思います。