2019年5月13日月曜日

やりたいことをやる。川上村で見つけた、これからの地域おこし

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は元地域おこし協力隊であり、今も川上村で活動されている竹中雅幸さん、岩本寛生さん、エリック・マタレーゼさんにインタビューし、インタビューに参加した3名(山本ひろとさん、大前風花さん、岡田駿さん)が記事を作りました。川上村のホームページには山本さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、大前さんが作った記事を掲載します。

やりたいことをやる。川上村で見つけた、これからの地域おこし

「むらメディアをつくる旅」、今回は地域おこし協力隊として川上村にやってきた竹中雅幸さん、岩本寛生さん、エリック・マタレーゼさんの3人にお話を伺いました。

この3人に共通するのは「地域おこし協力隊」として川上村にやってきたことだけ。出身地や今の活動も異なる3人ですが、このインタビューを通じてある共通点が見えてきました。

●3人が川上村にやってきたきっかけといま

(左からエリックさん、岩本さん、竹中さん)

エコツアーガイドとして川上村の自然の魅力を案内している竹中さん(あだ名はちくちゅーさんです)は、以前は大阪でサラリーマンとして会社に勤めていたそう。

ちくちゅーさんが自然の魅力にはまったのは、大学生のとき。

根っからの文学少年だったちくちゅーさんは文芸部への入部を希望し、部室を訪れたそうですが、部室が閉まっていたそう。そこで山岳部に勧誘されそのまま…。そこから自然の魅力にはまっていったそうです。

川上村のことはたまたま「日本仕事百貨」のイベントで知り、行ってみた、とのこと。思っていたよりもスギやヒノキが多く、ちくちゅーさんのイメージとは少し違った部分もあったようですが、初めて知ることも多く、勉強になる、と移住を決めたそうです。

岩本さんも同様に「日本仕事百貨」のWEBサイトでたまたま川上村のことを知ったそうです。はじめは地域おこし協力隊という制度も知らなかったそうですが、元々地域に住んでみたいという気持ちがあったそうです。そこでFacebookで川上村の地域おこし協力隊が活動する様子を見たり、村長へのインタビュー記事を読んだりして、川上村への移住を決めたそうです。

いまは集落支援員として『やまいき市』というプロジェクトに取り組まれています。地域の人が育てた野菜や特産品を青空市で販売するプロジェクトです。野菜や農業については詳しくなかったそうですが、今までにない経験ができることに魅力を感じ、前任の協力隊員から引き継いでこの活動を続けているそうです。

エリックさんはアメリカのロサンゼルス出身。以前からの友人だった地域おこし協力隊の1期生の方の結婚式を機に川上村を訪れ、村の魅力を知ったそうです。元々は会社で翻訳の仕事をしていたそうですが、日本語は英語と比べて1つの単語にたくさんの意味があるため、余計な情報を入れてしまって上司に怒られることがあったそう。そんなときに協力隊の応募が始まったことを知り、自分の言葉で日本語の魅力を活かした翻訳や文章を書き、発信したいと思い、応募したそうです。

現在は翻訳・通訳の仕事のほか、『anaguma文庫』にて日常の生活をつづったり、「月刊ソトコト」にて『上流の日々』を連載したり、『オイデ新聞』を発行したり、日本語と英語で村の魅力を発信しています。2019年の3月に協力隊の任期を終え、4月からは岩本さんと同じく集落支援員として川上村での生活を続ける予定だそうです。

●川上村にやってきて、それから

そんなこんなで川上村にやってきて、生活をつづける3人ですが、地域おこし協力隊の任期は一般的には3年とされています。

地域おこし協力隊の約4割は任期を終えるとその地域を離れてしまうそうなのですが、任期が終了してもなお、

川上村に残る理由は?
想像と違ったところはなかったのか?
いまの活動を続ける理由は?

そんなことについても聞いてみました。

ちくちゅーさんは川上村の「顔が見える距離感が好き」だといいます。
てっきり村の自然の風景や、ゆたかな緑、などといった答えが返ってくるのかと思いましたが、ちくちゅーさんとしては、イメージしていた「山」とは少し違ったそうです。思っていたよりもスギやヒノキが多く、広葉樹が少ない、とのこと。それでも村での暮らしをつづけようと思ったのは「顔が見える距離感」がよかったと思ったから。
以前大阪に住んでいた時は向かい側に住む人の顔を2回くらいしか見なかった、と。それに対して川上村には近すぎず、遠すぎない、程よく顔が見える距離感があり、今では大阪よりも地元のように感じていて、川上村こそ自分がいるべき場所だと思えたそうです。

協力隊はあくまで手段であった、というちくちゅーさん。協力隊という制度を通じて自分が何をしたいのか、が大事だというちくちゅーさんは、協力隊着任初年はいろんなところに行った、といいます。任期を終える3年後のことはそのときはなにも考えていなかった、といっていましたが、自分の好きな場所で、好きなことを仕事にしている。多くの人が理想的だと思いそうなことを、ちくちゅーさんは川上村でかなえることができたのではないでしょうか。そこにはちくちゅーさんの好きなことに対する愛情と情熱があったからだと思います。


次に岩本さんに川上村の魅力について聞くと、「正直わからない」との答えが返ってきました。
それでも任期を終えても川上村に残ることを決めたのは、協力隊としての3年間でつくってきた村の人たちとの関係性、そして活動を応援してくれた人たちの気持ちに応えたい、という思いがあったそうです。そのつながりを捨ててでも都会に行こうという気持ちにはならなかった、だから村での暮らしや『やまいき市』の活動を続けている、とのことでした。

任期を終えるとき『やまいき市』をどうしようかと悩んだ、という岩本さん。それでも活動を続けることを決めたのは、野菜を出してくれているおじいちゃん・おばあちゃんたちがいたからだといいます。野菜を袋詰めして値札を貼って、という大変な作業を5年間毎週続けてきてくれた人たちのために、「やまいき市」を続けていくことを決めたそうです。

「いまは野菜をどれだけ売ることができるか、それだけを考えて毎週やっている。」という岩本さん。
『やまいき市』の名前の由来は「山いきさん」という言葉で、山に行って間伐や枝打ちなどを行い、山を生かす林業のプロのことをいいます。ちくちゅーさんも言っていたように、川上村の山々にはたくさんのスギやヒノキが茂っていますが、岩本さんはそういった直接的に木に触れる林業ではなく、山でできた野菜の販売を通じて山を活かしている、「山いきさん」なのではないかと思いました。


最後にエリックさんに聞くと、「好きなことをやっている人が多いところ」だといいます。

エリックさんが教えてくれたのは、川上村でとち餅をつくる方の話でした。とち餅づくりは夏が終わると、3か月かけてあく抜きをしなくてはいけないなど、とても面倒で大変な作業。でもその人はすごく楽しそうにその話をしてくれた、といいます。それは他人から見れば大変な作業であっても、自分にとって楽しくて、好きなことであるからやっていること。そんなふうに自分の好きなことをやっている人がたくさんいるところが川上村の魅力だとエリックさんは教えてくれました。

エリックさんは村の方から、「村に残ることが申し訳ない」「自分の人生を犠牲にしなくていい」と言われたことがあるそうです。村のために活動することがいいのか、ここにいてはもったいないのではないか、と言われることも。

でもエリックさんは自分が今の活動が好きだから続けている、といいます。エリックさんにとって村についての文章を書くことも、村での生活をつづけることも、どちらも自分が好きでやっていることなのです。誰かに強要されたわけでも、何かを我慢しているわけでもない。

自分の好きなことを、自分が好きだから続けている。そんなエリックさんが優しい日本語でつづる村についての記事からは、好きなことと好きな場所への愛に満ちた想いが伝わってくるような気がしました。

●川上村でのこれから

最後にこれからの展望についてお聞きしました。

ちくちゅーさんは、「とりあえず続けたい」。
「年間に数百人のお客さんが来てくれていて、リピーターも多い。3人兄弟の1番下の子が年齢制限を下回ってしまうこともあり、参加できなかった人が数年後その子をまた連れてきてくれる時にもちゃんとツアーをやってていたい。子育て世代が子どもと一緒に来てくれることが多く、数十年後、その子供たちが大人になった時にもやっていたい。」

はじめた当初は、村の人から「それが仕事になるのか」と言われることもあったそう。村の人にとって山は林業の場所であったため、山でのツアーが仕事になるというイメージがなかったそうです。ダムに対するイメージも賛否があるため、ダム湖を使ったカヤックに対してよく思っていない人もいたという。

だけど、「今のフィールドをもっと深堀りして、すべての魅力を知り尽くしたガイドになりたい。天候に左右される不安定な仕事だけど、これからもプラスαを考えて、奈良県の自然のスペシャリストになりたい。」

ちくちゅーさんの語る夢はまるで海賊王を目指す船長のように壮大だと思いました。
座右の銘は「過程を楽しむ」。途中のプロセスも楽しみながら10年、20年と続けていきたい、そう語るちくちゅーさんの自然を愛する気持ちや行動力は、いつか奈良県が自然観光大国になりそうな、そんな予感さえ浮かぶ、大きく、計り知れないものでした。


岩本さんは『やまいき市』のこれからについて、とりあえず後輩の協力隊員が活動を引き継いでくれることになった、と一安心した様子でした。

「『やまいき市』の主役は野菜を出しくれるおばあちゃんたちだから、今よりもさらに活動に参加してもらい、一緒になって盛り上げていきたいと思っている。いまは任意団体だけど法人化していきたい。」

『やまいき市』に買いに来てくれるのは村の人が多いそう。買いに来てくれるのはうれしいし、アンケートにはもっとこんな野菜も欲しい、とか品数を増やしてほしいなどといった声もあり、それに応えていきたいと思っている、と語る岩本さん。引き継いだあともきっと変わらず、『やまいき市』の活動に燃えていそうな気がしました。

ちくちゅーさんの燃え盛るような熱とは違い、密かに燃えたぎる気持ち、という印象が岩本さんにはありました。川上村で好きになった人たちのために活動する岩本さんは、川上村の新しい形の「山いきさん」としてこれからも密かに情熱を燃やしているのではないでしょうか。もしかしたら数年後には野菜を作る側になっているかもしれないし、『やまいき市』のフィールドから別のフィールドになっているかもしれません。そんな未来は岩本さん自身も想像していないことかもしれませんが、大切にしたい人たちのために活動する川上村の新しい「山いきさん」の今後に大注目です。


エリックさんは4月から集落支援員になり、協力隊よりも収入が減るので仕事を増やしたいと考えている、と言っていました。

「ソトコトの連載や『オイデ新聞』の発行などは〆切があるのに対し、自分のブログや冊子は期限がないのでそこが難しい。」と言っていましたが、日本人よりも日本語を愛し、川上村を愛するエリックさんの書く村についての文章をわたしはもっと読みたいと思いました。

「みんなにやさしくしてもらったので村のために何か返したい」その想いから始まった『anaguma文庫』や『オイデ新聞』。『オイデ新聞』も元々は「川上村においで」というのが名前の由来だそうで、村の魅力が発信されていないのがさびしい、といいます。

「吉野林業500年の歴史など、川上村にはすごいところがたくさんある。でもそれ以外にももっと魅力がる。自分が住んでいるのは平均年齢72歳の集落だけど、夜になると集落が真っ暗になるので、区長が空いている東屋に電気を通して人が集まれる場所をつくった、などという話はメディアには出てこない。」

だから自分が村の魅力を発信していこう、とエリックさんは文章を書き始めました。川上村での「あそこのあの人」や、「あ~あの人ね」などという話は英語で表現するのは難しいところがあるそう。でもそこが日本語の魅力だというエリックさんは、これからも川上村という奈良の山奥から村の魅力と、日本語の魅力を世界中に発信してくれるのだと思います。


●村のためよりも…

今回のインタビューを通じて私が感じた3人の共通点は、自分の好きなことを自分がしたいからしている、ということです。

「地域おこし」というと

その活動は地域にどんなメリットがあるのか
その活動をすることで地域にどんな効果が見込めるのか、

こういったことが重要視される傾向にあると思います。
しかし今回インタビューした3人をはじめとする、川上村で活動をする人の多くは

「自分が好きで、やりたいからやっている」

そういった想いを持つ人が多いように思いました。
自分がしたいことを精いっぱいやる、多くの人のそんな想いが詰まったこの村は、いろんなものが揃っている都会よりも魅力的にわたしは感じました。

4月から大学の4回生になり、まわりが就職活動をはじめたわたしは
〈自分がやりたいことをやるというのは、大人になればできなくなるんだな〉
そう思っていたのですが、どうやらそんなことはないようです。

好きなことへの愛情と情熱を忘れず、好きなことに全うする、
社会に出るにおいて大切なことを教えてくれた3人にお話を伺えたこと、そんな機会に巡り合えたことに感謝したいと思います。


2019年5月10日金曜日

「今を楽しんでいく 千里の道も一歩から」~川上村 地域おこし協力隊物語~

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は元地域おこし協力隊であり、今も川上村で活動されている竹中雅幸さん、岩本寛生さん、エリック・マタレーゼさんにインタビューし、インタビューに参加した3名(山本ひろとさん、大前風花さん、岡田駿さん)が記事を作りました。川上村のホームページには山本さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、岡田さんが作った記事を掲載します。

「今を楽しんでいく 千里の道も一歩から」~川上村 地域おこし協力隊物語~
 
皆さんは、今までの自分の人生の中で経験したことがないことに直面した時、わくわくや不安でいっぱいではないでしょうか?今回インタビューを行った川上村の元地域おこし協力隊の3人はそのような中で、がむしゃらに今あることに向かって全力で取り組む人たちばかりでした。


1人目は岩本寛生さん。「日本仕事百貨」というWebサイトで、川上村の地域おこし協力隊が自由に自分の好きなことに取り組んでいることを知り、地域おこし協力隊に応募を決意した。先輩の地域おこし協力隊が始めた「やまいき市」を継承し存続することを第一に、日々取り組んでおられる。今取り組んでいる活動を大切にしながら日々を送っている。


2人目は、竹中雅幸さん。学生の頃に登山部に所属していたことから、山や川に対する愛着心が生まれた。林業が盛んな川上村では、森林ならではの経験を得ることができた。自分のやりたいこと、楽しいと思うことにどんどん取り組んでおられ、結果として村の賑わいに寄与している。例えば現在は2人の仲間とともに『山遊び塾 ヨイヨイかわかみ』という団体を主宰して、村内にある滝や洞窟に案内するプログラムを実施しており、普段は自然に触れる機会が少ない都会暮らしの人々を魅了している。


3人目は、エリック・マタレーゼさん。アメリカ出身で、友達の縁をたどって川上村にやって来た。前職で翻訳作業に従事していたことから、村の人々に独自で取材を行い、文脈では伝えきれないニュアンスや文化を英語で表現。日本語、英語併記の絵本を出版。今では京都や大阪の本屋さんでも販売されている。

●三者三様の”活動の原動力”


現在の活動の原動力は三者三様である。岩本さんの原動力は、任期中に生まれた地域の人たちとの関係性。いつも元気に声をかけてくれる地域の人たちや、野菜を提供してくださるおばちゃん達に、活動を通して恩返しをしていきたいと感じている。もしやまいき市をやめてしまったら、いつも頑張って野菜を提供してくださる人たちの努力が目で見えなくなってしまい、それはもったいないということである。

竹中さんの原動力は、今やっていることを楽しむことである。たとえ結果がどのようなことになっても、そこに至る過程を楽しんでいれば、きっと後で振り返った時には「よかったな」と感じることができるそうだ。次に自分たちのプログラムに参加してもらう時には、もっと楽しんでもらえるように、また何度も参加してもらえるように、この活動を継続できるように頑張っていきたいそうだ。

エリックさんの原動力は、村の人たちへ恩返しをしたいという気持ちである。初めて川上村を訪れた時から村の人たちは優しくもてなしてくれたことから、自分の特技である取材と翻訳のスキルを活かして、村内外へ発信を行っている。エリックさんは「川上村にはおもしろい人がたくさんいる」とおっしゃる。私自身もすごく共感した部分で、川上村への訪問は2回目であったが、心優しい方ばかりだった。次に来るときには、第2の故郷になりそうだ。

●3人の今後について


最後に、現在抱えている課題と今後の展望について伺った。

岩本さんは、任意団体として取り組んでいるやまいき市を法人化して、運営体制を整えていきたいそうだ。野菜を提供してくださる人たちにも、もっとやまいき市の運営に参加してもらいたいとのこと。継続していくためには必須条件なのかもしれない。

竹中さんは、SNSやブログを活用してもっと発信していく必要があるとのこと。まだまだ川上村にはあまり知られていないスポットがあり、もっと多くの人たちに知ってもらいたいとことである。今後は川上村にとどまることなく、奈良県の他地域とも連携して、奈良県のスペシャリストになれるように頑張っていきたいそうだ。

エリックさんは、日々の作業に追われてしまい、どうしてもウェブ販売や営業が後手になってしまっているとのことである。そのためSNSをどんどん活用して、日本を訪れる外国人観光客のサポートや村の観光振興にも力を入れたいとのことであった。

●続けていくことの大切さ

今回、お三方のお話を聞いて感じたのは、続けていくことの大切さだ。「石の上にも三年」ということわざもあるが、当初は事業が上手くいくか分からなくても、続けていくことで周りの反応も変わってくるもの。自分の軸をしっかり持って行動されている姿は、かっこいいなと感じた。好きなことを仕事にできることがどれだけ幸せなことか考えさせられる一日となった。これからも元地域おこし協力隊も含め、川上村の動向に注視してもらえれば幸いである。

2019年1月24日木曜日

人口約1300人の村役場。 都会の役場とはちょっと違う、利害を超えた「村民と役場」の関係とは。

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村役場で働く森本倫巨(ともみ)さん、鈴木健太さんをインタビューし、インタビューに参加した2名(山本ひろとさん、冨羽一成さん)が記事を作りました。川上村のホームページには山本さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、冨羽さんが作った記事を掲載します。

人口約1300人の村役場。
都会の役場とはちょっと違う、利害を超えた「村民と役場」の関係とは。

みなさんは、”地方公務員”にどのようなイメージをお持ちだろうか。ネット上では様々な意見があがっているが、一概に言うことはできないのかもしれない。

 今回は川上村役場で働く、定住促進課の森本さん、地域振興課の鈴木さんにインタビューを行った。


 森本さんは、本庁勤務5年目。川上村出身で、村内で道ゆく人の顔を見れば、「あの人ね」と大体わかるのだという。主に、空き家バンクなど、移住者の受け入れ支援の担当をしている。休日出勤はあるが、仕事を成し遂げた時の達成感は大きいという。私は川上村に移住してきたばかりだが、我が家を紹介してくださったのも森本さんだ。


 鈴木さんは、新規卒業者で今年度から川上村役場で勤めている。出身は大阪で、高校までを大阪で過ごし、大学時代は広島で過ごした。子供の頃から、毎年お盆になると川上村の祖母の家で一週間ほど過ごしていたという。広島県内でも内定していた企業があったが、村での思い出や、祖母の住んでいた家が残っていたこともあり、村で暮らすことを決めた。農業委員会の事務局、有害鳥獣の駆除に関わる仕事を担当。村の観光・物産イベント事業のスタッフをすることもある。有害鳥獣の駆除業務の1つに、駆除された獣の尻尾と、提出された写真の照合作業があるそうで、最初は戸惑いもあったが、今では慣れてしまったのだという。


●川上村は「不便」なのか

 村の95%が森林であり、マップアプリで川上村を空から見ればほとんどが緑である。ゆえに「不便そう」「なにもなさそう」と思われがちだが、実際のところはどうなのだろうか。
 もちろん、自然を求めて村へ移住されている方もいるわけだが、ライフスタイル自体は都会と全く違うわけではない。鈴木さんもまた、川上村へ来る前は不便さを心配していたが、実際には色々な支援もあり、不自由さを感じることは少ないという。


●アットホームな役場

 川上村役場には、都会の役場のような「案内所」がない。その代わり、役場へ入れば課の分け隔てなく誰かが声をかけてくれる。時には、副村長から背中をポンとたたかれて「川上での暮らしは慣れたか?」と親身に話していただける、アットホームな場所だ。

 そんなアットホームな雰囲気は、役場を訪れる人にだけではなく、職員同士にも広がっている。森本さんは、プライベートのことも含め色んな相談に乗ってもらえる職場だという。役場職員は全員で60人ほどであるため、職員同士の距離も近い。そのため、一人一人の仕事に対する責任も大きくなるという。


 そんなアットホームさゆえか、入庁早々の4月、鈴木さんはホテル杉の湯での記念事業のプレゼンを任されたのだという。本番直前、あまりの緊張で鼻血が出てしまったそうだが、それが話のいいネタとなり場が和んだと、笑いながら話してくれた。

●これからの川上村のためにできること

 お二人とも、役場職員は住民に寄り添うことが一番大切だと話していた。しかし人口減少は続いており、村の認知度も決して高いとは言えず、課題も多い。そこでお二人に、これからの川上村のためにできることについて伺った。

 そこで森本さんは、「◯◯×空き家のリノベーション」ができたらと考えているそうだ。多くの空き家が川上村内にはあるが、耐震性などの問題を抱えていて、改修が必要な状態の空き家が多いという。

DIYに興味がある人や村内の木工作家などとコラボし、改修と同時に空き家の価値をより高め、移住の促進につなげることはできないか。また、空き家のリノベーションを通して生まれた新しい繋がりが、関係人口を増やすことにもなるではないだろうか。


 鈴木さんは、例えば「テクノロジーを利用した観光PR」はできないかと話す。バーチャル体験のできる「VR」など最新技術を使い、豊かな自然を五感で感じてもらう。より遠い場所に住む人たちに「川上村」を知ってもらい、観光で川上村を訪れるきっかけにできないかという。

 こういった提案をする機会は都会の役場職員にもあると思うが、小さな役場の方が実行に移しやすいのではないか。簡単に実現するものではないが、職員のモチベーションを高く保つきっかけにもなる。


●村民を支える役場、役場を支える村民

 村民は気さくな人が多く、お祭りなど村民主体のイベントには多くの人たちが参加する。また役場との距離感も近く、互いの情報が伝わるのも早い。各集落がかかえる課題が見えやすく、役場の仕事がスムーズに進むこともあるという。

 昨年の台風で、一週間近く停電になった集落があった。夏場であったため、冷蔵庫の中身もダメになり、多くの人が苦しい境遇で一週間を過ごした。村長が集落を訪問すると、その地域の人から「電気が通らないくらいどうってことない」という言葉をかけてもらったそうだ。そのことを聞いた役場職員は驚いたという。村民同士で知恵を出し合い、自分たちで出来る限りのことをする姿に、職員も救われたのだという。

 村民を支えるのは役場の仕事。しかし、決して一方的ではなく、村民も自然と役場を支える。誰かが意識的にやっているわけではない、自然と互いを支え合う関係こそが、これからの川上村を支える大きな力になるのではないだろうか。

2018年11月28日水曜日

笑顔を生みだす、3人の魔法使い。アルボールかわかみ発の村おこし

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、花輪さんが作った記事を掲載します。

笑顔を生みだす、3人の魔法使い。アルボールかわかみ発の村おこし



◉アルボールかわかみを通して「村おこし」する3人のお母さん


人口減少が続く村で、村おこしをするとしたら…?
あなたは何を思い浮かべるでしょうか。

奈良県川上村で、まさにその問いを実践している3人のお母さんがいます。舞台は「アルボールかわかみ」というカフェ。軽食やコーヒーをいただくことができる、川上村の憩いの場です。3人はカフェの経営を通して、どのような日常を送り、どんな未来を描いているのでしょうか。

お話を伺うと、魅力あふれる3人の人柄と、幸せが連鎖する村おこしのあり方が見えてきました。

 
◉3人は、馴染みの友達で一蓮托生の仲間

「よほどのことがない限り、3人は共同です。」

そう話してくれたアルボールかわかみの3人は、ただのビジネスパートナーではありません。ずっと仲良くしている友達どうしなんです。日中お店を開けている時間はもちろん、月2回のカラオケやたまの旅行も3人一緒。きっと3人で過ごす時は女子会のように盛り上がっているのだろうな。そう思わせるほど、チャーミングな魅力に溢れています。

3人はいつからそんなに仲良くなったのだろう?気になって尋ねてみると、「自然と関係を築いてきたから、この時にこうして仲良くなった、とかないよ。」とのこと。子供が通う学校のママ友だったり、かつて同じ職場で働いていたりと、様々な場面で一緒に過ごしてきたらしいのです。

なんて素敵な関係でしょう。僕は憧れてしまいます。だって、いつから親しくなったか忘れるほど付き合いが深くて長い友人と、一緒にカフェを立ち上げて暮らしているのですから。

◉いつでもお客さんがいてくれる。アルボールかわかみの魅力

そんな仲良しの3人が営むアルボールかわかみの日常を、ちょっと覗いてみましょう。

アルボールかわかみは、村民だけでなく村外にも常連を抱えているんだそう。なんと、お客さんがゼロだった日がこれまで1度もないというから驚きです。手づくりの料理を食べに訪れる方たちや、毎日コーヒーを飲みに来る常連など、大勢に愛されています。

遠方からの観光客もアルボールかわかみに立ち寄ります。そんなときは、温泉や滝など近くの観光スポットを紹介しているのだとか。どうやら、川上村の観光案内所も兼ねているようです(笑)

アルボールかわかみがこんなにも愛されるのは、ここに来たい!と思える魅力に溢れているから。


大きな魅力のひとつは、手づくり料理が美味しいこと。今回僕は「めはりずし」の定食をいただきました。「めはりずし」とは、握り飯を高菜の葉で包んだ、熊野地方の郷土料理なんだそう。シャキッとした歯ごたえが心地よい高菜の葉の中からは、ふっくらと粒が立った握り飯が。適度な酸味と塩気が味を引き締めていて、食がはかどります!酢の物やうどんなど、とってもボリューミーでしたが、あっという間に完食してしまいました。食べるとどこかほっとした気持ちになれる、美味しい家庭の味を満喫できます。


そしてアルボールかわかみで最も魅力的なのは、やっぱり3人のお母さんたち。まるで親戚のおばちゃんのように温かく接してくれて、ときに冗談めかして話してくれます。3人と一緒にいると、自然と笑顔がこぼれてしまうんです。嬉しいことや悲しいこと、何かあったらアルボールかわかみでコーヒー片手に、3人に話を聞いてほしい。そう思うほど、この温かみに溢れた感覚はやみつきになります。

◉お客さんと一緒につくりあげてきた。アルボールかわかみの成り立ち

では、アルボールかわかみはどのように生まれたのでしょう。実は、誕生の経緯はちょっとしたことから始まります。退職してもまだまだ元気だった3人は、何かをやりたいねと話していたのだそう。ドライブ中にひょんなことから「店しようや」「じゃあ川上村で」という話になって、役場に相談してみると応援してくれることに。ここから、アルボールかわかみは最初の1歩を踏み出します。


家具の新調から始まった準備は思いのほか時間がかかったようです。メニューは、3人が作れるものからはじめて、次第に増えていきます。
「最初はジュース、コーヒー、紅茶とカレー、うどんくらいやと思ったら、お客さんの注文からこれだけメニューが増えた。」
ラインナップが豊富になった背景には、お客さんのリクエストに応える3人のサービス精神があったのです。

「人に動かされていきます。」
そう語る姿からは、店を訪れるお客さんと店主の3人が、一緒に少しずつアルボールかわかみを形作ってきたことを、ひしと感じました。

◉幸せの輪を、少しずつ。アルボールかわかみが取り組む「村おこし」

「楽しいも嬉しいもある。苦しいのはほとんどない。」
カフェを営むことについて尋ねると、こう答えてくれました。料理やコーヒーを味わってもらい、美味しいと言ってもらう。お客さんと他愛ない話で盛り上がる。3人は、そんな日々の瞬間に歓びを感じています。

そして、アルボールかわかみを通じて「村おこし」をしたい、という想いも抱いています。「村おこし」というと、何か大規模なものを作るとか、人を一気に大勢呼び込もうとか、そんな様子を連想しがちです。しかし3人が見据える未来は、少し違うようです。

「大げさなことやなくて、こうやってお店させてもろたら、人が来て、ご飯が美味しいって言って帰ってくれる。それが輪になってまた次の方が来てくれたり。そういう輪の中で私たちは生かさせてもろてる。だから、毎日ありがたいなあ。」


3人は、カフェをどんどん大きくしていくのではなく、自分たちができる範囲・楽しめる範囲で続けて、関わる人を幸せにすることを大切にしています。アルボールかわかみから生まれる関係の輪は、店主の3人を中心に、川上村の村民や村外からの人を結びつけるもの。そして、店主もお客さんも楽しく過ごすことで、幸せが連鎖していく。これがアルボールかわかみ流の村おこしなのです。

そんな村おこしは、いろいろな形で実践されています。手間がかかるために貴重になった地元の郷土料理を作り、村内のイベントに提供されています。また川上村オリジナルのダムカレーに、地元の小学生が育てたブロッコリーを使う計画もあります。(※ダムカレー:村内の飲食店が最低限のルールに基づいて、村内のダムをイメージしたカレーを作る取り組み)日々少しずつ、アルボールかわかみ発の村おこしは進んでいます。


◉素敵に、可愛らしく歳を重ねる。ひとも自分も幸せにする3人の魔法使い


アルボールかわかみの店主たちいわく、「3人合わせて200歳とちょっと」。

そんな3人とお話ししていると、「こんな風に歳を重ねられたらいいな」という気持ちになってきます。それは、3人がアルボールかわかみを通じて、関わる人も自分たちも幸せな時間を生み出しているから。

まるで3人は、笑顔を生み出す素敵な魔法使い。あなたもアルボールかわかみを訪れたら、3人の魔法使いの虜になってしまうことでしょう。

友が友を呼ぶ、広がる人の輪。 カフェ『アルボールかわかみ』

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、久保田さんが作った記事を掲載します。

友が友を呼ぶ、広がる人の輪。
カフェ『アルボールかわかみ』

奈良県川上村大和上市駅から車で走らせること、およそ20分。川上村の玄関口にある『アルボールかわかみ』は、村で子育てしてきた3人のお母さん(大田さん、中平さん、小林さん)が立ち上げたカフェだ。

まずは昼食、定食うどん(きつね・月見)を頂く。

肌寒さを感じるこの季節にぴったりなうどんは、体を温めてくれる。

そしてこの【3つのまんまる】は、<めはり寿司>である!

草餅ならぬ葉巻飯。

この日は食べられなかったが、川上村では柿の葉寿司も有名である。お店によっては、自分で育てた柿の木から採っているという(地産地消ではないか…!)。今回は柿の葉寿司ではなかったが、柿がちょこっとデザートとして添えられているではないか!川上村には柿があることは一生忘れないだろう。

「喜んでくれてね。こんなん東京にないわぁって毎回食べたいって言ってくれる。」

と、食堂での勤務経験のある中平さんが話す。

「限定だからね。東京まで箱で送るんだよ。」

(柿の葉寿司ファンはすでにいた…!)

それでいてその東京の人は、また友人を連れてカフェまで再訪するそう。なので、どのようなお客様が来るのかという質問には、

「多種多様でございます。」

と大田さんがサッと素早く答えて教えてくれた。村内にある温泉<杉の湯>で23年間接客をしていたその歴史は侮れない。常連さんはいますかと聞くと、

「いるわ、いるいる。一日に2回来るお客さんいる。コーヒーだけ頼んで、また来る!」

常連も、リピーターも多い。村外だったとしても来客する。人が絶えることはないという。

ここまで読まれたらもうお分かりかもしれないが、この3人には一つの法則があるのだ。職場が同じ。杉の湯勤務経験がある。お子さんらが同級生だった。聞いていくうちに何かと共通点が多い。

【法則って何だ?】

そう、この3人の名字の頭文字を取ると…

小・中・大
林・平・田

そう!大→中→小になっているのだ。大田さんがそう言うと、インタビュー参加者全員どっと笑う。

いやぁ、おもしろい。話が本当におもしろい。

…でも
…やっぱり
…カフェを経営するって大変なんじゃないか。


と感じる人もいるだろう。開店起業相談へ川上村役場に行くと、役場は乗り気満々だったらしく、いざ始めてからあっという間に毎日が過ぎ去っていき開店から5年が経った。

中平さんはカフェを始める前は、

「年やし、足も痛いし、3人って割と難しいやんか。だからうまくいくかなぁ…って。」

と不安と心配を抱いていたという。だが今については

「まわりに動かされています。」

発起人であった大田さんは

「借金したらあかんし、家賃も払わなあかんし、がんばらなきゃ。じっとしてたらあかん。できることから考えていった。」

開店当初は軽食のみの提供だったが、開店から5年経つ今ではケータリングまで対応できるほどになり、料理の幅が広がっていった。

愛情こもってます、そしておなかいっぱいになります。

そして小林さんは言う。

「あせっても仕方がない。笑いがあってぼちぼちです。マイナスはありません。3人はどこ行けど【協同】です。」

「そういう人の輪で生かさせてくれているんだからね。」

大田さんも同じく、

「そういう積み重ねで生きてます。」と。

私は素敵な言葉だと思うし、素敵な心掛けだと思います。下を向かないで、上を向く。
 
定食以外にもカレーライスや焼きそば、牛丼なども用意している。そしてこのカフェ含む、川上村にある6つのお食事処では、ダムをモチーフにした「ダムカレー」をメニューの中の1品としている。川上村にある大滝ダムと大迫ダムがモチーフになっているって、なんだかおもしろい。

「ウチのが一番おいしいからね!」

とのことなので、これは堪能しなければあかんようですよ。

そう、だからここにもし来てくれるのなら、

「おばあちゃん言ったらあかん。ばあちゃんと言ってー!」と3人が言っているので。

ばあちゃん!って呼んで。

そして会いに来てくださいね。待ってます。

大中小なおかん飯 明るくていつも笑顔が素敵なおかん3人がきりもりするアルボールかわかみ

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、高田さんが作った記事を掲載します。

大中小なおかん飯
明るくていつも笑顔が素敵なおかん3人がきりもりするアルボールかわかみ


川上村にある喫茶店、アルボールかわかみ。運営する3人(大田さん、中平さん、小林さん)のおかん(お母さん)の合計年齢は200歳を超えるのだとか。今回私は、インタビューをしてみて、「地域活性には何が出来るか?」と難しい事を考えるより、「自分達が何が出来るか?」「何が得意か?」「自分達が楽しめるか?」「楽しんでいるか?」が大切だとひしひしと感じることができた。

日々「楽しいもあり、嬉しいもあるが、苦はない!」と笑顔いっぱいに語る大田さん。恐らく、苦がないのではなく苦さえも喜んで受け入れ、どう調理して楽しむかを知っているのだと思う。

お店を始めようと思っても、そう簡単に出来るものではないと思う。
だけど、サンババ(3人の愛称)は「3人で何かしたいね。」「お店を3人でしよう」と相談・話合い、お店をやることを決意。

※サンババの由来:おばあちゃんと呼ばれるのは抵抗がある!だから私達はサンババと呼んでね。と可愛い笑顔で中平さん。

物件を探していると、役場が紹介した空き店舗を使えることに!
場所が決まり、テーブルや椅子・食器も3人で調達し、メニューも自分達で考えた。

今回のインタビュー前に、3人で考えたメニューの一つ「めはり寿司定食」を頂いた。めはり寿司とは、高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎりの事で、昔は大きなおにぎりだったため、口を大きく開けて食べる時に目を見張ったような顔つきになることから名付けられたそう。



サンババの作るめはり寿司定食は、大きいめはり寿司が3つも並び、お漬物・小うどん・煮物・サラダ・柿。

めはり寿司は、農業や林業の肉体労働者のお弁当で用いられたのが始まりなので少し濃いのだけど、ここのめはり寿司は普通の人でも食べやすい薄味。

正直3つも食べれないぞ!?思ったけど、落ち着いた味付けでお袋の味。とても美味しく完食しちゃいました。

1番力を入れているのは、奈良県の郷土料理である柿の葉寿司。

サンババのつくる柿の葉寿司を今回食べる事は出来なかったが、東京からも注文がくる
柿の葉寿司が売れるとサンババは踊っちゃう程嬉しいらしい(実際には踊りません)食べたかった…残念。

ここは川上村。ダムが有名!
ダムファンの方・ダムカレーファンの方には釈迦に説法ですが、川上村には有名な大迫ダムと大滝ダムがあります。

大きな楕円のお皿に水源地の森・大迫ダム・大滝ダムが忠実に再現された「かわかみのダムカレー」。

そのダムカレーに地元小学校から今学校で育てている野菜を是非使ってほしいと学校から要望があり、その日が来るのをとても楽しみにしているという。



地域の為に何かをするのではなく、自分たちが楽しく前を向いて真面目にやっていれば、自然と村おこしにつながっているのだと思う。

そうやってカフェをきりもりしていると、1日に2回も来てくださるお客さんや、週末はツーリングで訪れるお客さん、観光で来られるお客さんと毎日色んなお客さんが訪れて下さり、OPEN以降、お客さんが来ない日はまだないのだとか。

「日々お客様に感謝し、下を向かずに、毎日を楽しんでいる。」という。その結果、毎日誰かが来てくれるのでしょう。

現在、アルボールでは栃餅(とちもち)の仕込みで灰汁抜きをしている真っ最中。昔は家庭でも栃餅を作っていたらしいですが、手間暇かかるため段々と作らなくなってきているそうです。



砂糖や塩は入れず天然の味で独特の香ばしい風味が広がる。でんがら餅も川上村の郷土料理で、これも面白い餅。これは話が反れていくので割愛するが、是非一度調べて食べて欲しい。サンババも口を揃えて「大好き」と。

お話が好きなので、初めて川上村に来た観光客には穴場観光スポットを紹介したり、常連さんとは美容の話をしたりと、日々色んな話で盛り上がるそう。

今回のオードブルのご注文が急遽入り、インタビューは1時間しかなかったが、一つお聞きすると話が広がりいっぱいお聞かせ頂きアッという間の1時間でした。



大=大田さん 中=中平さん 小=小林さん

のサンババがきりもりする「アルボールかわかみ」に是非一度心を癒しに如何ですか?

2018年11月26日月曜日

ハンドメイドで幸せを紡ぐふたり。早稲田さんと大辻さんの暮らす日常。

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は大辻孝則さん・早稲田緑さんをインタビューし、インタビューに参加した5名(久保田紗佑歌さん、小池悠介さん、齊藤美結さん、若林佐恵里さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには小池さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、花輪さんが作った記事を掲載します。

ハンドメイドで幸せを紡ぐふたり。早稲田さんと大辻さんの暮らす日常。


◉川上村高原集落で暮らす。早稲田さんと大辻さんにとっての「幸せ」

あなたにとって「幸せ」ってなんですか?

健康でいること、収入が増えること、家や車を持つこと…。自分なりの答えを持っている方も多いことでしょう。

奈良県川上村の高原(たかはら)集落に暮らす、早稲田さんと大辻さんの答えは、少しユニークかもしれません。若い夫婦であるふたりは、山奥で暮らすことを選びました。また、入籍せずに夫婦になる「事実婚」を選びました。いったい、なぜなのか…?ふたりの暮らしを紐解いていくと、新しい幸せのあり方が見えてきました。

◉早稲田さんと大辻さん。ふたりが出会うまで

早稲田緑さんと大辻孝則さん。ふたりが出会うまでにそれぞれが歩んできた道は、全くもって対照的なものでした。


早稲田さんは横浜生まれの生粋の都会っ子。かつては東京で翻訳技術の開発の仕事をしていたのだそう。忙しく営業に駆け回りながらも、仕事に楽しさを感じる悪くない日々。そんな早稲田さんが、奈良県川上村に移住したのには、2つの背景があるようです。

1つは、仕事で山形県に赴いたこと。山形でインバウンド施策向けの営業をしていたとき、地域の職人さんから、海外の人が来ても対応できないとあっさり言われてしまいます。このとき、地域に必要なのは翻訳エンジンではないと気づかれたのでした。

そして2つ目は、「自分には田舎がない。帰省したことがない。」という小さい頃からの強い憧れ。高校生の頃、長期休みに田舎暮らしを実際に経験して、その思いは確かなものに変わります。夢の田舎ライフ、ではなく、現実的に収入を得て田舎で生活したい。そんな折、ちょうど求人広告が出ていた川上村にやって来るのでした。


一方、大辻さんは川上村の高原集落で生まれ、今もこの地で暮らしています。高校・大学時代は村を離れますが、就職活動はせずに村に戻ることを選択しました。当時、友人たちが川上村で事業の立ち上げなどを行っていて、大辻さんもそこに参加するつもりだったのだとか。しかし、帰ってきてみると事業はすでに解散済み。やることがなかった。

実家が代々林業を営んでいた大辻さんは、2年間の山仕事を経た後、たまたま求人が出た役場の職員に就きます。役場での仕事は、早稲田さんいわく「ひとり水道局」。人手の少ない川上村役場では、水道関係の仕事は大辻さんに任されていました。

こうして、早稲田さんと大辻さんはそれぞれ川上村での生活を送っていきます。そして、ふたりを直接結びつけたのが、和太鼓です。お互いに小さい頃から取り組んでいた和太鼓の活動を通じて、ふたりは川上村で出会い、関係を深めていくのでした。


◉結婚する意味って何?事実婚で結婚式を挙げた、ふたりの真意


なんて素敵な展開でしょう!こんな出会いがあったらいいのにと、憧れてしまいますよね。

ところで、ふたりは「事実婚」を選択し、それぞれの苗字を残したまま結婚生活を送っています。それってなんで?わざわざ事実婚にするメリットは?僕の中で、様々な疑問が湧いてきます。

「逆に、結婚って何の意味があるの?」

ふたりに質問をぶつけてみると、返ってきたのは早稲田さんの素直な疑問でした。この疑問、あなたは考えたことがありますか?僕は、ありませんでした。「普通は、結婚して籍を入れるもの。だって、それが当たり前だもの。」そう思っていました。

早稲田さんは様々なことに疑問を抱きます。どうして女性ばかりが苗字を変えるのだろう?世界には両親の苗字を組み合わせる国もある。じゃあ、苗字を1つに統一しなくてもいいのでは?そもそも、何で結婚するんだろう?それが普通、というのがよくわからない。


そうして結果的に事実婚を選んだふたりでしたが、実は神社で結婚式を挙げています。何とそこにも、きちんと理由がありました。それは、ふたりの息子のみきとくんのため。事実婚だと、戸籍上子供は片親しかいないことになってしまう。自分たちが事実婚であることで、息子に父親との関係が付与されないことに強い違和感を抱いたため、周囲に3人の関係をはっきりさせたのでした。

「本当は何でもいいと思っていて、『こうするべき』という話があるわけでもなくて。」早稲田さんはそう言います。「ただ、疑問に感じたことを『そういうもんだよね』と思ってやるのは違うかなと思っていたら、本当にこうなっちゃった。」


◉異なる強みを発揮し合う。早稲田さんと大辻さんの魅力

早稲田さんと大辻さんは、見ているだけで幸せな気持ちになれるほど、お互いの異なる強みで補い合っている素敵な夫婦。まるで、ぴったりとはまったパズルのピースのようです。


早稲田さんの大きな魅力は、みんなが「普通」と思っていることを「どうして?」と考えられること。そして自分なりの選択肢を実践できること。事実婚を選んだことも、そんな早稲田さんの強みあってのものでした。

働き方にも早稲田さんの価値観が表れます。今、早稲田さんは週4日、自宅からのリモートで会社勤めをしています。早稲田さんの中では、週5日オフィスで働くよりもこの働き方のほうが幸せだろうと考え、実践しているのだそう。

「言動と行動がずれててしんどくなって、行動しちゃう」

早稲田さんの印象的な言葉です。早稲田さんにとって、社会のために何かを声高に叫ぶ、といったことは意外にも苦手なのだとか。それよりも、自分が感じたことや考えたことを実践しないと気が済まない、というのが原動力のようです。僕は、だからこそ早稲田さんの話すことや取り組んでいることの説得力が強いのだろうと思います。


そんな早稲田さんが教えてくれた、大辻さんの魅力。「生命力が半端ない」と教えてくれました。大辻さんも、川上村も、暮らしを自分で作ることができる点で生命力に溢れているのだと。木を切ったり、屋根の塗装を自分でやったり。台風や地震もやってくる。しょうがない状況がたくさんあるけれど、そんな状況とまっすぐ向き合って生きていける強さがあるのです。

大辻さんは「南海トラフ地震がきても大丈夫」と言います。他にも同じことを言う村民がいるのだそう。それは決して、地震の被害がないだろうということではありません。たとえ大災害に見舞われても、自分たちの力で何とか生活していけるという自信なのではないでしょうか。

実際、2018年の初夏に起こった豪雨でも、都市部の復旧が優先されたため4日半にわたって停電したのだそうです。それでも、料理はプロパンガスでできるし、街灯が一切ないからよく眠れた、と。「いい経験したね、楽しかった」と爽やかに笑える姿に、確かに、生命力を感じました。


◉世代を超えて「住み継ぐ」という発想。ストーリーのある家に住む


あなたは「住み継ぐ」という言葉を聞いたことはありますか?ひとつの家に、何世代にも渡って住み続けることを指します。早稲田さんたち家族3人は、まさに家を住み継いだ当事者です。

3人が暮らす家には、かつて大家さんの両親が住んでいました。その後は別荘のように使われていましたが、若い人に使ってほしいということで、今は早稲田さんたちが暮らしています。こうして世代交代を続けていくことが「住み継ぐ」ということなんです。

「大家さんとは家族じゃないけど、家に住むことでその一部になれたのが嬉しい。」早稲田さんはそう語ります。家のすぐ近くに住んでいる大家さんとは、この家や土地の歴史についてよくお話しされるそう。そうすると、大家さんやその父・祖父の知恵までいただいている気がするのだとか。

家とそこにまつわる記憶を引き継いでいくことで、土地と人に根ざした生命力が生まれるのかもしれません。


◉ふたりにとっての「幸せ」。手づくりで紡ぎだす幸せな暮らし


早稲田さんと大辻さんの、川上村高原集落での素敵な日常が見えてきました。一体、ふたりにとって「幸せに暮らす」とはどのようなことなのでしょうか?

そう尋ねると早稲田さんは、大辻さんとの間に共通のテーマがあることを教えてくれました。それは、「つくるを楽しむ」ということ。良い意味で違いが際立つふたりですが、「つくるを楽しむ」ことはふたりとも大切にしているのだそうです。

「消費ではなく、つくっていくことを楽しもう。それを続けられることが私たちの幸せかも。」

確かに、早稲田さんと大辻さんの暮らしは手づくりに満ちています。土間だった台所を使いやすいようにリフォームしたり、子供の成長に合わせて収納を作り替えたり。ほかにも、「深く対話できる機会を身近につくりたい」という早稲田さんが実際に取り組みを始めたりと、目に見えない日常も手づくりしているのです。

だから、早稲田さんと大辻さんにとっては「結果的に、今ここでこうして暮らしているのが幸せ」なのだそう。そして「今の状態が答えだと思っていなくて、何年か後にはまた変わっているだろうなと思う。極端な話、ここにはいなくなってるかも(笑)」

ふたりにとって幸せとは、自分がどう思うか、自分が何を欲しているかを互いに話し合って、それを手づくりで実現していくことなのではないでしょうか。そして、たまたまそれが今の状態になっている。だから毎年、毎月、毎日、家族の幸せな状態は少しずつ変化していくのです。


僕たちは、ついつい資産を増やすことや、スペックを充実させることにこだわりすぎているのかもしれません。でも川上村高原集落には、日々しょうがない状況に直面しながらも、自分の気持ちに向き合って手づくりの生活を送っている家族がいます。ハンドメイドで自分たちの幸せを紡ぎだすのは、きっととても心地よいことでしょう。

さて、あなたにとっての「幸せ」ってなんですか?