2018年11月28日水曜日

笑顔を生みだす、3人の魔法使い。アルボールかわかみ発の村おこし

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、花輪さんが作った記事を掲載します。

笑顔を生みだす、3人の魔法使い。アルボールかわかみ発の村おこし



◉アルボールかわかみを通して「村おこし」する3人のお母さん


人口減少が続く村で、村おこしをするとしたら…?
あなたは何を思い浮かべるでしょうか。

奈良県川上村で、まさにその問いを実践している3人のお母さんがいます。舞台は「アルボールかわかみ」というカフェ。軽食やコーヒーをいただくことができる、川上村の憩いの場です。3人はカフェの経営を通して、どのような日常を送り、どんな未来を描いているのでしょうか。

お話を伺うと、魅力あふれる3人の人柄と、幸せが連鎖する村おこしのあり方が見えてきました。

 
◉3人は、馴染みの友達で一蓮托生の仲間

「よほどのことがない限り、3人は共同です。」

そう話してくれたアルボールかわかみの3人は、ただのビジネスパートナーではありません。ずっと仲良くしている友達どうしなんです。日中お店を開けている時間はもちろん、月2回のカラオケやたまの旅行も3人一緒。きっと3人で過ごす時は女子会のように盛り上がっているのだろうな。そう思わせるほど、チャーミングな魅力に溢れています。

3人はいつからそんなに仲良くなったのだろう?気になって尋ねてみると、「自然と関係を築いてきたから、この時にこうして仲良くなった、とかないよ。」とのこと。子供が通う学校のママ友だったり、かつて同じ職場で働いていたりと、様々な場面で一緒に過ごしてきたらしいのです。

なんて素敵な関係でしょう。僕は憧れてしまいます。だって、いつから親しくなったか忘れるほど付き合いが深くて長い友人と、一緒にカフェを立ち上げて暮らしているのですから。

◉いつでもお客さんがいてくれる。アルボールかわかみの魅力

そんな仲良しの3人が営むアルボールかわかみの日常を、ちょっと覗いてみましょう。

アルボールかわかみは、村民だけでなく村外にも常連を抱えているんだそう。なんと、お客さんがゼロだった日がこれまで1度もないというから驚きです。手づくりの料理を食べに訪れる方たちや、毎日コーヒーを飲みに来る常連など、大勢に愛されています。

遠方からの観光客もアルボールかわかみに立ち寄ります。そんなときは、温泉や滝など近くの観光スポットを紹介しているのだとか。どうやら、川上村の観光案内所も兼ねているようです(笑)

アルボールかわかみがこんなにも愛されるのは、ここに来たい!と思える魅力に溢れているから。


大きな魅力のひとつは、手づくり料理が美味しいこと。今回僕は「めはりずし」の定食をいただきました。「めはりずし」とは、握り飯を高菜の葉で包んだ、熊野地方の郷土料理なんだそう。シャキッとした歯ごたえが心地よい高菜の葉の中からは、ふっくらと粒が立った握り飯が。適度な酸味と塩気が味を引き締めていて、食がはかどります!酢の物やうどんなど、とってもボリューミーでしたが、あっという間に完食してしまいました。食べるとどこかほっとした気持ちになれる、美味しい家庭の味を満喫できます。


そしてアルボールかわかみで最も魅力的なのは、やっぱり3人のお母さんたち。まるで親戚のおばちゃんのように温かく接してくれて、ときに冗談めかして話してくれます。3人と一緒にいると、自然と笑顔がこぼれてしまうんです。嬉しいことや悲しいこと、何かあったらアルボールかわかみでコーヒー片手に、3人に話を聞いてほしい。そう思うほど、この温かみに溢れた感覚はやみつきになります。

◉お客さんと一緒につくりあげてきた。アルボールかわかみの成り立ち

では、アルボールかわかみはどのように生まれたのでしょう。実は、誕生の経緯はちょっとしたことから始まります。退職してもまだまだ元気だった3人は、何かをやりたいねと話していたのだそう。ドライブ中にひょんなことから「店しようや」「じゃあ川上村で」という話になって、役場に相談してみると応援してくれることに。ここから、アルボールかわかみは最初の1歩を踏み出します。


家具の新調から始まった準備は思いのほか時間がかかったようです。メニューは、3人が作れるものからはじめて、次第に増えていきます。
「最初はジュース、コーヒー、紅茶とカレー、うどんくらいやと思ったら、お客さんの注文からこれだけメニューが増えた。」
ラインナップが豊富になった背景には、お客さんのリクエストに応える3人のサービス精神があったのです。

「人に動かされていきます。」
そう語る姿からは、店を訪れるお客さんと店主の3人が、一緒に少しずつアルボールかわかみを形作ってきたことを、ひしと感じました。

◉幸せの輪を、少しずつ。アルボールかわかみが取り組む「村おこし」

「楽しいも嬉しいもある。苦しいのはほとんどない。」
カフェを営むことについて尋ねると、こう答えてくれました。料理やコーヒーを味わってもらい、美味しいと言ってもらう。お客さんと他愛ない話で盛り上がる。3人は、そんな日々の瞬間に歓びを感じています。

そして、アルボールかわかみを通じて「村おこし」をしたい、という想いも抱いています。「村おこし」というと、何か大規模なものを作るとか、人を一気に大勢呼び込もうとか、そんな様子を連想しがちです。しかし3人が見据える未来は、少し違うようです。

「大げさなことやなくて、こうやってお店させてもろたら、人が来て、ご飯が美味しいって言って帰ってくれる。それが輪になってまた次の方が来てくれたり。そういう輪の中で私たちは生かさせてもろてる。だから、毎日ありがたいなあ。」


3人は、カフェをどんどん大きくしていくのではなく、自分たちができる範囲・楽しめる範囲で続けて、関わる人を幸せにすることを大切にしています。アルボールかわかみから生まれる関係の輪は、店主の3人を中心に、川上村の村民や村外からの人を結びつけるもの。そして、店主もお客さんも楽しく過ごすことで、幸せが連鎖していく。これがアルボールかわかみ流の村おこしなのです。

そんな村おこしは、いろいろな形で実践されています。手間がかかるために貴重になった地元の郷土料理を作り、村内のイベントに提供されています。また川上村オリジナルのダムカレーに、地元の小学生が育てたブロッコリーを使う計画もあります。(※ダムカレー:村内の飲食店が最低限のルールに基づいて、村内のダムをイメージしたカレーを作る取り組み)日々少しずつ、アルボールかわかみ発の村おこしは進んでいます。


◉素敵に、可愛らしく歳を重ねる。ひとも自分も幸せにする3人の魔法使い


アルボールかわかみの店主たちいわく、「3人合わせて200歳とちょっと」。

そんな3人とお話ししていると、「こんな風に歳を重ねられたらいいな」という気持ちになってきます。それは、3人がアルボールかわかみを通じて、関わる人も自分たちも幸せな時間を生み出しているから。

まるで3人は、笑顔を生み出す素敵な魔法使い。あなたもアルボールかわかみを訪れたら、3人の魔法使いの虜になってしまうことでしょう。

友が友を呼ぶ、広がる人の輪。 カフェ『アルボールかわかみ』

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、久保田さんが作った記事を掲載します。

友が友を呼ぶ、広がる人の輪。
カフェ『アルボールかわかみ』

奈良県川上村大和上市駅から車で走らせること、およそ20分。川上村の玄関口にある『アルボールかわかみ』は、村で子育てしてきた3人のお母さん(大田さん、中平さん、小林さん)が立ち上げたカフェだ。

まずは昼食、定食うどん(きつね・月見)を頂く。

肌寒さを感じるこの季節にぴったりなうどんは、体を温めてくれる。

そしてこの【3つのまんまる】は、<めはり寿司>である!

草餅ならぬ葉巻飯。

この日は食べられなかったが、川上村では柿の葉寿司も有名である。お店によっては、自分で育てた柿の木から採っているという(地産地消ではないか…!)。今回は柿の葉寿司ではなかったが、柿がちょこっとデザートとして添えられているではないか!川上村には柿があることは一生忘れないだろう。

「喜んでくれてね。こんなん東京にないわぁって毎回食べたいって言ってくれる。」

と、食堂での勤務経験のある中平さんが話す。

「限定だからね。東京まで箱で送るんだよ。」

(柿の葉寿司ファンはすでにいた…!)

それでいてその東京の人は、また友人を連れてカフェまで再訪するそう。なので、どのようなお客様が来るのかという質問には、

「多種多様でございます。」

と大田さんがサッと素早く答えて教えてくれた。村内にある温泉<杉の湯>で23年間接客をしていたその歴史は侮れない。常連さんはいますかと聞くと、

「いるわ、いるいる。一日に2回来るお客さんいる。コーヒーだけ頼んで、また来る!」

常連も、リピーターも多い。村外だったとしても来客する。人が絶えることはないという。

ここまで読まれたらもうお分かりかもしれないが、この3人には一つの法則があるのだ。職場が同じ。杉の湯勤務経験がある。お子さんらが同級生だった。聞いていくうちに何かと共通点が多い。

【法則って何だ?】

そう、この3人の名字の頭文字を取ると…

小・中・大
林・平・田

そう!大→中→小になっているのだ。大田さんがそう言うと、インタビュー参加者全員どっと笑う。

いやぁ、おもしろい。話が本当におもしろい。

…でも
…やっぱり
…カフェを経営するって大変なんじゃないか。


と感じる人もいるだろう。開店起業相談へ川上村役場に行くと、役場は乗り気満々だったらしく、いざ始めてからあっという間に毎日が過ぎ去っていき開店から5年が経った。

中平さんはカフェを始める前は、

「年やし、足も痛いし、3人って割と難しいやんか。だからうまくいくかなぁ…って。」

と不安と心配を抱いていたという。だが今については

「まわりに動かされています。」

発起人であった大田さんは

「借金したらあかんし、家賃も払わなあかんし、がんばらなきゃ。じっとしてたらあかん。できることから考えていった。」

開店当初は軽食のみの提供だったが、開店から5年経つ今ではケータリングまで対応できるほどになり、料理の幅が広がっていった。

愛情こもってます、そしておなかいっぱいになります。

そして小林さんは言う。

「あせっても仕方がない。笑いがあってぼちぼちです。マイナスはありません。3人はどこ行けど【協同】です。」

「そういう人の輪で生かさせてくれているんだからね。」

大田さんも同じく、

「そういう積み重ねで生きてます。」と。

私は素敵な言葉だと思うし、素敵な心掛けだと思います。下を向かないで、上を向く。
 
定食以外にもカレーライスや焼きそば、牛丼なども用意している。そしてこのカフェ含む、川上村にある6つのお食事処では、ダムをモチーフにした「ダムカレー」をメニューの中の1品としている。川上村にある大滝ダムと大迫ダムがモチーフになっているって、なんだかおもしろい。

「ウチのが一番おいしいからね!」

とのことなので、これは堪能しなければあかんようですよ。

そう、だからここにもし来てくれるのなら、

「おばあちゃん言ったらあかん。ばあちゃんと言ってー!」と3人が言っているので。

ばあちゃん!って呼んで。

そして会いに来てくださいね。待ってます。

大中小なおかん飯 明るくていつも笑顔が素敵なおかん3人がきりもりするアルボールかわかみ

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は川上村で「アルボールかわかみ」という喫茶店を立ち上げた3人のお母さんをインタビューし、インタビューに参加した4名(久保田紗佑歌さん、中能理紗子さん、高田幸一郎さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには中能さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、高田さんが作った記事を掲載します。

大中小なおかん飯
明るくていつも笑顔が素敵なおかん3人がきりもりするアルボールかわかみ


川上村にある喫茶店、アルボールかわかみ。運営する3人(大田さん、中平さん、小林さん)のおかん(お母さん)の合計年齢は200歳を超えるのだとか。今回私は、インタビューをしてみて、「地域活性には何が出来るか?」と難しい事を考えるより、「自分達が何が出来るか?」「何が得意か?」「自分達が楽しめるか?」「楽しんでいるか?」が大切だとひしひしと感じることができた。

日々「楽しいもあり、嬉しいもあるが、苦はない!」と笑顔いっぱいに語る大田さん。恐らく、苦がないのではなく苦さえも喜んで受け入れ、どう調理して楽しむかを知っているのだと思う。

お店を始めようと思っても、そう簡単に出来るものではないと思う。
だけど、サンババ(3人の愛称)は「3人で何かしたいね。」「お店を3人でしよう」と相談・話合い、お店をやることを決意。

※サンババの由来:おばあちゃんと呼ばれるのは抵抗がある!だから私達はサンババと呼んでね。と可愛い笑顔で中平さん。

物件を探していると、役場が紹介した空き店舗を使えることに!
場所が決まり、テーブルや椅子・食器も3人で調達し、メニューも自分達で考えた。

今回のインタビュー前に、3人で考えたメニューの一つ「めはり寿司定食」を頂いた。めはり寿司とは、高菜の浅漬けの葉でくるんだおにぎりの事で、昔は大きなおにぎりだったため、口を大きく開けて食べる時に目を見張ったような顔つきになることから名付けられたそう。



サンババの作るめはり寿司定食は、大きいめはり寿司が3つも並び、お漬物・小うどん・煮物・サラダ・柿。

めはり寿司は、農業や林業の肉体労働者のお弁当で用いられたのが始まりなので少し濃いのだけど、ここのめはり寿司は普通の人でも食べやすい薄味。

正直3つも食べれないぞ!?思ったけど、落ち着いた味付けでお袋の味。とても美味しく完食しちゃいました。

1番力を入れているのは、奈良県の郷土料理である柿の葉寿司。

サンババのつくる柿の葉寿司を今回食べる事は出来なかったが、東京からも注文がくる
柿の葉寿司が売れるとサンババは踊っちゃう程嬉しいらしい(実際には踊りません)食べたかった…残念。

ここは川上村。ダムが有名!
ダムファンの方・ダムカレーファンの方には釈迦に説法ですが、川上村には有名な大迫ダムと大滝ダムがあります。

大きな楕円のお皿に水源地の森・大迫ダム・大滝ダムが忠実に再現された「かわかみのダムカレー」。

そのダムカレーに地元小学校から今学校で育てている野菜を是非使ってほしいと学校から要望があり、その日が来るのをとても楽しみにしているという。



地域の為に何かをするのではなく、自分たちが楽しく前を向いて真面目にやっていれば、自然と村おこしにつながっているのだと思う。

そうやってカフェをきりもりしていると、1日に2回も来てくださるお客さんや、週末はツーリングで訪れるお客さん、観光で来られるお客さんと毎日色んなお客さんが訪れて下さり、OPEN以降、お客さんが来ない日はまだないのだとか。

「日々お客様に感謝し、下を向かずに、毎日を楽しんでいる。」という。その結果、毎日誰かが来てくれるのでしょう。

現在、アルボールでは栃餅(とちもち)の仕込みで灰汁抜きをしている真っ最中。昔は家庭でも栃餅を作っていたらしいですが、手間暇かかるため段々と作らなくなってきているそうです。



砂糖や塩は入れず天然の味で独特の香ばしい風味が広がる。でんがら餅も川上村の郷土料理で、これも面白い餅。これは話が反れていくので割愛するが、是非一度調べて食べて欲しい。サンババも口を揃えて「大好き」と。

お話が好きなので、初めて川上村に来た観光客には穴場観光スポットを紹介したり、常連さんとは美容の話をしたりと、日々色んな話で盛り上がるそう。

今回のオードブルのご注文が急遽入り、インタビューは1時間しかなかったが、一つお聞きすると話が広がりいっぱいお聞かせ頂きアッという間の1時間でした。



大=大田さん 中=中平さん 小=小林さん

のサンババがきりもりする「アルボールかわかみ」に是非一度心を癒しに如何ですか?

2018年11月26日月曜日

ハンドメイドで幸せを紡ぐふたり。早稲田さんと大辻さんの暮らす日常。

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は大辻孝則さん・早稲田緑さんをインタビューし、インタビューに参加した5名(久保田紗佑歌さん、小池悠介さん、齊藤美結さん、若林佐恵里さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには小池さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、花輪さんが作った記事を掲載します。

ハンドメイドで幸せを紡ぐふたり。早稲田さんと大辻さんの暮らす日常。


◉川上村高原集落で暮らす。早稲田さんと大辻さんにとっての「幸せ」

あなたにとって「幸せ」ってなんですか?

健康でいること、収入が増えること、家や車を持つこと…。自分なりの答えを持っている方も多いことでしょう。

奈良県川上村の高原(たかはら)集落に暮らす、早稲田さんと大辻さんの答えは、少しユニークかもしれません。若い夫婦であるふたりは、山奥で暮らすことを選びました。また、入籍せずに夫婦になる「事実婚」を選びました。いったい、なぜなのか…?ふたりの暮らしを紐解いていくと、新しい幸せのあり方が見えてきました。

◉早稲田さんと大辻さん。ふたりが出会うまで

早稲田緑さんと大辻孝則さん。ふたりが出会うまでにそれぞれが歩んできた道は、全くもって対照的なものでした。


早稲田さんは横浜生まれの生粋の都会っ子。かつては東京で翻訳技術の開発の仕事をしていたのだそう。忙しく営業に駆け回りながらも、仕事に楽しさを感じる悪くない日々。そんな早稲田さんが、奈良県川上村に移住したのには、2つの背景があるようです。

1つは、仕事で山形県に赴いたこと。山形でインバウンド施策向けの営業をしていたとき、地域の職人さんから、海外の人が来ても対応できないとあっさり言われてしまいます。このとき、地域に必要なのは翻訳エンジンではないと気づかれたのでした。

そして2つ目は、「自分には田舎がない。帰省したことがない。」という小さい頃からの強い憧れ。高校生の頃、長期休みに田舎暮らしを実際に経験して、その思いは確かなものに変わります。夢の田舎ライフ、ではなく、現実的に収入を得て田舎で生活したい。そんな折、ちょうど求人広告が出ていた川上村にやって来るのでした。


一方、大辻さんは川上村の高原集落で生まれ、今もこの地で暮らしています。高校・大学時代は村を離れますが、就職活動はせずに村に戻ることを選択しました。当時、友人たちが川上村で事業の立ち上げなどを行っていて、大辻さんもそこに参加するつもりだったのだとか。しかし、帰ってきてみると事業はすでに解散済み。やることがなかった。

実家が代々林業を営んでいた大辻さんは、2年間の山仕事を経た後、たまたま求人が出た役場の職員に就きます。役場での仕事は、早稲田さんいわく「ひとり水道局」。人手の少ない川上村役場では、水道関係の仕事は大辻さんに任されていました。

こうして、早稲田さんと大辻さんはそれぞれ川上村での生活を送っていきます。そして、ふたりを直接結びつけたのが、和太鼓です。お互いに小さい頃から取り組んでいた和太鼓の活動を通じて、ふたりは川上村で出会い、関係を深めていくのでした。


◉結婚する意味って何?事実婚で結婚式を挙げた、ふたりの真意


なんて素敵な展開でしょう!こんな出会いがあったらいいのにと、憧れてしまいますよね。

ところで、ふたりは「事実婚」を選択し、それぞれの苗字を残したまま結婚生活を送っています。それってなんで?わざわざ事実婚にするメリットは?僕の中で、様々な疑問が湧いてきます。

「逆に、結婚って何の意味があるの?」

ふたりに質問をぶつけてみると、返ってきたのは早稲田さんの素直な疑問でした。この疑問、あなたは考えたことがありますか?僕は、ありませんでした。「普通は、結婚して籍を入れるもの。だって、それが当たり前だもの。」そう思っていました。

早稲田さんは様々なことに疑問を抱きます。どうして女性ばかりが苗字を変えるのだろう?世界には両親の苗字を組み合わせる国もある。じゃあ、苗字を1つに統一しなくてもいいのでは?そもそも、何で結婚するんだろう?それが普通、というのがよくわからない。


そうして結果的に事実婚を選んだふたりでしたが、実は神社で結婚式を挙げています。何とそこにも、きちんと理由がありました。それは、ふたりの息子のみきとくんのため。事実婚だと、戸籍上子供は片親しかいないことになってしまう。自分たちが事実婚であることで、息子に父親との関係が付与されないことに強い違和感を抱いたため、周囲に3人の関係をはっきりさせたのでした。

「本当は何でもいいと思っていて、『こうするべき』という話があるわけでもなくて。」早稲田さんはそう言います。「ただ、疑問に感じたことを『そういうもんだよね』と思ってやるのは違うかなと思っていたら、本当にこうなっちゃった。」


◉異なる強みを発揮し合う。早稲田さんと大辻さんの魅力

早稲田さんと大辻さんは、見ているだけで幸せな気持ちになれるほど、お互いの異なる強みで補い合っている素敵な夫婦。まるで、ぴったりとはまったパズルのピースのようです。


早稲田さんの大きな魅力は、みんなが「普通」と思っていることを「どうして?」と考えられること。そして自分なりの選択肢を実践できること。事実婚を選んだことも、そんな早稲田さんの強みあってのものでした。

働き方にも早稲田さんの価値観が表れます。今、早稲田さんは週4日、自宅からのリモートで会社勤めをしています。早稲田さんの中では、週5日オフィスで働くよりもこの働き方のほうが幸せだろうと考え、実践しているのだそう。

「言動と行動がずれててしんどくなって、行動しちゃう」

早稲田さんの印象的な言葉です。早稲田さんにとって、社会のために何かを声高に叫ぶ、といったことは意外にも苦手なのだとか。それよりも、自分が感じたことや考えたことを実践しないと気が済まない、というのが原動力のようです。僕は、だからこそ早稲田さんの話すことや取り組んでいることの説得力が強いのだろうと思います。


そんな早稲田さんが教えてくれた、大辻さんの魅力。「生命力が半端ない」と教えてくれました。大辻さんも、川上村も、暮らしを自分で作ることができる点で生命力に溢れているのだと。木を切ったり、屋根の塗装を自分でやったり。台風や地震もやってくる。しょうがない状況がたくさんあるけれど、そんな状況とまっすぐ向き合って生きていける強さがあるのです。

大辻さんは「南海トラフ地震がきても大丈夫」と言います。他にも同じことを言う村民がいるのだそう。それは決して、地震の被害がないだろうということではありません。たとえ大災害に見舞われても、自分たちの力で何とか生活していけるという自信なのではないでしょうか。

実際、2018年の初夏に起こった豪雨でも、都市部の復旧が優先されたため4日半にわたって停電したのだそうです。それでも、料理はプロパンガスでできるし、街灯が一切ないからよく眠れた、と。「いい経験したね、楽しかった」と爽やかに笑える姿に、確かに、生命力を感じました。


◉世代を超えて「住み継ぐ」という発想。ストーリーのある家に住む


あなたは「住み継ぐ」という言葉を聞いたことはありますか?ひとつの家に、何世代にも渡って住み続けることを指します。早稲田さんたち家族3人は、まさに家を住み継いだ当事者です。

3人が暮らす家には、かつて大家さんの両親が住んでいました。その後は別荘のように使われていましたが、若い人に使ってほしいということで、今は早稲田さんたちが暮らしています。こうして世代交代を続けていくことが「住み継ぐ」ということなんです。

「大家さんとは家族じゃないけど、家に住むことでその一部になれたのが嬉しい。」早稲田さんはそう語ります。家のすぐ近くに住んでいる大家さんとは、この家や土地の歴史についてよくお話しされるそう。そうすると、大家さんやその父・祖父の知恵までいただいている気がするのだとか。

家とそこにまつわる記憶を引き継いでいくことで、土地と人に根ざした生命力が生まれるのかもしれません。


◉ふたりにとっての「幸せ」。手づくりで紡ぎだす幸せな暮らし


早稲田さんと大辻さんの、川上村高原集落での素敵な日常が見えてきました。一体、ふたりにとって「幸せに暮らす」とはどのようなことなのでしょうか?

そう尋ねると早稲田さんは、大辻さんとの間に共通のテーマがあることを教えてくれました。それは、「つくるを楽しむ」ということ。良い意味で違いが際立つふたりですが、「つくるを楽しむ」ことはふたりとも大切にしているのだそうです。

「消費ではなく、つくっていくことを楽しもう。それを続けられることが私たちの幸せかも。」

確かに、早稲田さんと大辻さんの暮らしは手づくりに満ちています。土間だった台所を使いやすいようにリフォームしたり、子供の成長に合わせて収納を作り替えたり。ほかにも、「深く対話できる機会を身近につくりたい」という早稲田さんが実際に取り組みを始めたりと、目に見えない日常も手づくりしているのです。

だから、早稲田さんと大辻さんにとっては「結果的に、今ここでこうして暮らしているのが幸せ」なのだそう。そして「今の状態が答えだと思っていなくて、何年か後にはまた変わっているだろうなと思う。極端な話、ここにはいなくなってるかも(笑)」

ふたりにとって幸せとは、自分がどう思うか、自分が何を欲しているかを互いに話し合って、それを手づくりで実現していくことなのではないでしょうか。そして、たまたまそれが今の状態になっている。だから毎年、毎月、毎日、家族の幸せな状態は少しずつ変化していくのです。


僕たちは、ついつい資産を増やすことや、スペックを充実させることにこだわりすぎているのかもしれません。でも川上村高原集落には、日々しょうがない状況に直面しながらも、自分の気持ちに向き合って手づくりの生活を送っている家族がいます。ハンドメイドで自分たちの幸せを紡ぎだすのは、きっととても心地よいことでしょう。

さて、あなたにとっての「幸せ」ってなんですか?

それはあたりまえじゃない! 対話を通してここちよさと自由を追求することが社会を少し動かす道

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は大辻孝則さん・早稲田緑さんをインタビューし、インタビューに参加した5名(久保田紗佑歌さん、小池悠介さん、齊藤美結さん、若林佐恵里さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには小池さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、若林さんが作った記事を掲載します。

それはあたりまえじゃない!
対話を通してここちよさと自由を追求することが社会を少し動かす道

自分にとってあたりまえだと思っていたことが、実は誰かにとってはそうではなかったという経験はありませんか?たとえば、会社には通勤するものとか、結婚する時は婚姻届を提出するものとか、そういうふうに考えていませんか。自分がどう思うかなんて立ち止まって考えることなく、常識だと思って無条件に受け入れていることはありませんか。

今回のむらメディアの旅で、「あたりまえ」や「常識」を軽やかに打ち破って人生を自分のものにしていくふたりに出会いました。大辻孝則さんと早稲田緑さんです。ふたりは事実婚で夫婦となり、一児をもうけました。「あたりまえ」を疑いながら、自分にとってここちよい家族の形は何かを問い、常に家族をアップデートしてきたというふたり。

あたりまえ人間のわたしには「事実婚ってなに?」「どうして事実婚?」「子どもの名前は?」などなど「?」がいっぱいで聞きたいことだらけでした。そこで、川上村高原に住む大辻孝則さん、早稲田緑さんにインタビューさせていただきました。(以下、孝則さん、緑さん)


●川上村で暮らす一見ふつうの移住家族

孝則さんは川上村生まれ、川上村育ち、高校から大学まで川上村を離れたこともあるけれど、大学卒業後は川上村役場に勤務しています。自然環境のよい場所で育ったので、都会のエアコンが苦手だそう。

早稲田緑さんは横浜生まれ。6年前までは東京でバリバリ仕事をしていました。多忙な生活の中で「このままいったら、自分に投資ができない。もっと生命力をあげたい」そんなふうに思うようになりました。そこで偶然みつけた川上村の地域おこし協力隊に応募。採用されて、川上村に来ました。


二人の住む川上村高原という集落は、民家が山にへばりつくようにして建つ谷あいの村。車を止めた道路から、まっすぐ上を見上げると家があります。急斜面をぐねぐねとまわりながら登ると、孝則さん緑さんの家がありました。近くには柚子の木があり、たわわに実った柚子を孝則さんと息子のミキトくんが収穫してくれました。「どうじょ(どうぞ)」と旅の参加者に柚子を笑顔で手渡すミキトくん。自然の恵みとやさしさをいっぱいもらってすくすく育っているのが伝わってくるような笑顔でした。


「住んでくれるだけでいいから」と借りている家は南向きであたたかい光のはいる古民家。「冬は光がはいるように、夏は入らないように考えて建てられているんですよ」と孝則さん。川上村の特産でもあるスギやヒノキの木をふんだんに使ってリノベーションしたというキッチンやリビングは初めて来た家なのに、不思議に落ち着く空間でした。「木をたくさん使っているということは子どもの情緒のためにもいいと思うんです。根拠はないけど」と笑う緑さん。川上村ではゆっくりと時間が過ぎて行きます。


●管理されることへの違和感。自分の思いを大事に事実婚へ。

川上村伝統の和太鼓を子どもに教えていた孝則さんと「何か楽器をさわりたい!」と思っていた緑さんは川上村の和太鼓のイベントで出会ったそうです。和太鼓を通して会ううちに、仲が深まり、自然な流れで一緒に住むようになりました。

「そのままだったら普通に一緒に暮らしていただけだったと思う。結婚はしたくなかったから」と緑さん。だけど、今2歳のミキト君がお腹にいるとわかってから事情が変わりました。現行の民法では、籍を入れていない母親から生まれた子どもは父親とは全くの他人になってしまいます。「それは困ると思いました。孝則さんがミキトの父親であること。わたしたちが両親であることを認めてもらいたい」「でも、入籍するのは違和感がある。どうして女性が名字を変えなきゃいけないのかわからない」そんな葛藤の中、緑さんが自分の考えを率直に孝則さんに伝えました。孝則さんは「結婚するならふつう婚姻届はだすもんやろ?」と思いながらも「でも、待てよ。なんでこんなシステムになってるんやろう」と疑問を持ったといいます。そして、結婚制度、戸籍制度について紐解いていくと、それは明治時代にはじまったこと、そして政府が国民を管理するために家族になっていたほうがやりやすかったからだという事実にいきあたります。孝則さんはそこまで知ったうえで、「それなら、籍は要れなくてもいい。管理されるのはいややからね」と笑顔で話してくれました。


二人は川上村の神社で結婚式をあげました。家族だけの小さなものにするつもりでしたが、結果的に村の人たちが50人ほど来てお祝いしてくれたといいながら、緑さんは結婚式の写真をみせてくれました。

●正社員だけど週4完全リモートワーク


緑さんはこうも続けます。「わたし、会社員だけど完全なリモートワークで週4回しか働いていないんです」それを聞いた私たちは目がテンに。「入社する時にそういうふうに交渉しました!わたし子どもがいるから」と。「ふつう正社員なら通勤して週5でしょ」と参加者の心の叫びが聞こえるようでした。緑さんは「通勤時間は無駄だし、非効率なことをちゃんと排除すれば、週4日で仕事はまわりますよ」と実は誰もが心の中で叫んでいながら実際には口に出して言えないことを、あっさりと代弁してくれました。内心、こんな人が上司だったらな……と感じた人も少なくないはずです。「でもね、言っていることとやっていることが一致していないといやなので、言うだけじゃなくちゃんとやりますよ」と意志の強い瞳で宣言する緑さん。

「なぜそんなふうに流されず、自分の意志で自分の人生を作っていけるのか?」とインタビュー参加者の一人が聞きました。すると、「感受性が強いのかな?例えば戦争で苦しんでいる人などを見ると、どうしてそういうことになっているんだろう?と疑問に思うんです。だから本もたくさん読む。オススメはね……」と緑さんは本をいろいろ紹介してくれました。そして、こう教えてくれました。

「事実婚やリモートワークを選択したことで世界を変えたいわけじゃない。そんな大それたことはわたしにはできないけど、自分のことは自分で決めたいんです」

●村の人の生命力に惹かれて 


わたしは「緑さんが孝則さんに受けた影響は何ですか」と聞いてみました。すると即座に「生命力です」という答えが返ってきました。

「孝則さんは生きる力がすごいんです。たとえば飲む水って普通作れないじゃないですか。でも、この人は作れてしまうんです。水道の仕事をしていたというのもあったんですけど。屋根を直したり、野菜を育てたり、そういうことがすぐできる。それって、どんなことがあっても生きていけるってことですよね?すごくないですか?」とちょっと興奮気味に語る緑さん。

孝則さんも照れながら「現代文明に依存するのは嫌なんです。このあいだの台風の停電でも全然大丈夫でしたから。電気は太陽。食べ物は備蓄されているものと畑から。暗くなったら寝るだけです」とはにかむ孝則さん。緑さんいわく、川上村には「南海トラフが来ても大丈夫」と言う人たちがいるそうです。それは数々の災害から学んだことが世代を越えて蓄積されているということにほかなりません。かたや、都市にくらす人々にとっては災害は死活問題。災害の多かった今年はそれを実感する機会もたくさんありました。水道が数日止まるだけで、電気が来なくなるだけで、右往左往してしまう現代のわたしたち。その生命力のなさが少しかなしい。生命力があるということは自然とともに生きられるということ。それは人間の本来の姿なのではと思わされました。


●自分を偽らず生きること

わたしは川上村で緑さんと孝則さんに会って、損得勘定抜きで自分の感覚に従って生きることを学びました。40年近く生きてきていつもどこかに「これをしたら、周りはどう思うだろう?」と自分自身にささやいていました。そして、時にそれが何かをあきらめさせ、選ばなくていい何かを選ばせてきたように思います。だけど、二人のように生きることが自分だけの幸せをみつけるひとつの方法なんだということに気づかされました。それは大きな発見でした。

日本の社会は自分の心の正直であるよりも、周りと足並みをそろえ、その場の空気を読むことが強く要求される社会です。だけど、それこそが生きづらさの原因なのではないか。「あたりまえ」を疑い、「常識」にとらわれず、自分に正直に生きる勇気をもつ。
そして、自分がここちよいように暮らし方を少しずつ変えていく。ただそれだけで、人生は少しずつ変わり始める。そうやって、自分だけの人生を作ってけるのは自分しかいない。
そう思えたとき、川上村での別れ際に、手を振ってくれた緑さんと孝則さんの笑顔が心に浮かびました。

自分の声に正直であり、それ信じて自分の生活を変えて行くことこそが、小さいけれども社会を変えていく一歩につながる。そう確信した川上村での一日でした。


常に『可能性』を探る、別々の人生を歩んできた2人が目指す未来とは…

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は大辻孝則さん・早稲田緑さんをインタビューし、インタビューに参加した5名(久保田紗佑歌さん、小池悠介さん、齊藤美結さん、若林佐恵里さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには小池さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、久保田さんが作った記事を掲載します。

常に『可能性』を探る、別々の人生を歩んできた2人が目指す未来とは…


●なんで、こんなに男尊女卑なんだろう?

今回インタビューさせていただいた川上村の大辻孝則さんと早稲田緑さん。暮らしについて様々な可能性を探る2人は、例えば結婚については「事実婚」という選択されている。事実婚に至るまでには、早稲田緑さんの問題提起と追究心の積み重ねにありました。その思いが込められている言葉を頂きました。


早稲田緑さん。地域に必要なのは翻訳エンジンじゃない―。このままいったら自分の人生に投資できなくなる―。翻訳ツールなどを開発する会社を辞め、2013年から川上村高原地区に移住している、早稲田緑さん。移住当初は、地域おこし協力隊(集落支援員)として活動。現在は週4で働くフリーランスの形をとっている。個人、組織で実生活そのものに経営計画や働き方改革を自ら行う。ファシリテーターとしても活動中。

●伝統に苦しむ人が一人でも減ったほうがいい。

母からの『墓を継いでほしい』。
対する父は『どちらでもいい』。

もともと結婚願望がなかった、早稲田さんは

「なんで結婚するの―」
「それが【普通】ってのが、よく分からない。」

そして例を挙げてお話しくださりました。スペインでは名字をパートナー同士から好きなものを組み合わせていることから、

「そもそも名字を統一する意味とは?」

という疑問が生まれ、

「いらんくないか?」

となったそうです。しかし事実婚では、大辻孝則さんがみきと君の「法律上の」父親になれません。そこで早稲田さんは、

「彼(みきと君)の両親であることを認めてもらうために、結婚式を挙げた。」

最初は周りから

『なんで結婚しないの?』

と尋ねられることもあったそうですが、ほどなくして何も聞かれなくなったそう。大辻さんは事実婚に対しては

「不利益はない。名字が違うだけで意味ねーなって。 」(大辻さん)

「いつの時代もそうだと思う。ちょっとずつ、ちょっとずつ変化を加えてきたから続いている。革新を続けてきたから、伝統があると思う。」(早稲田さん)

「守らないと、守らないと…って守ることばっかりになっているとしんどい。その先に目的があるのに、守ることが目的になっている。」(大辻さん)

●コミュニティで培ってきたものを受け継いでいる、という感覚知。


川上村の良さを聞いてみたところ…

「おいしい水を、となったら外部から来る添加物(塩素など)が少ない。それがココの強み。」(大辻さん)

「川上村が好きというより、高原にピンポイントで住みたいなと思った。高原、いいな。条件を付けると、ココ(高原地区の一部)。ココじゃないと住めない。高原全体安心感がして、日々の暮らしが浮き出てくる。他の地域よりも強い人間臭さがある。<住み継ぐ>の一部になれてうれしい。水がおいしい、素材がいい、文明とのバランスがいい。自分の体がいい状態でいられる、快適とピュアのバランスの良いところ。」(早稲田さん)

現在大辻さん・早稲田さんらがお住まいになっているところは、大家さんの祖先からの知恵や知識、生活史を引き継ぐことのうれしさを語っていただきました。その例として挙げていただいたのは、

「夏は日差しを遮って涼しさを守るようになっており、冬は日光が部屋の中まで入り込み家全体が暖まるような工夫がなされている。」

これはまさに住まいを生き継いだ結果として今も残っていると言えるでしょう。

敷地内には耕されていない場所があるそうで、今後はその場所で作物を育てようと考えているそうです。そういった作物の育て方なども大家さんや周りの地域住民から知恵を頂くことが多いそう。

「文化も芸術もある、東京最高!でも毎日必要なモノじゃない。」(早稲田さん)

…早稲田さんは東京から移住されたと聞き、私はてっきり「東京は好きじゃないのかな?」とお話を聞く前に思っていたのですが、それは思い込みでした。

知らないうちに【都会と田舎】という地域での対比を思考の中に入れてしまっていました。

それだけでなく東京に生まれ育って21年の私も、東京の良さを見ようとして見ていなかったのみならず、『シティーだね』『めっちゃ都会だね』と出身と住んでいるところを評されて、嫌気がさしていた感情を東京の印象そのものをマイナスに転換してしまっていたことを気づかされました。聞かれるたびに、無意識にそうなっていたんですね。

●あって当然、想定外はない

2018年7月初旬に西日本で記録的豪雨があり、中国・四国地方で多くの世帯が床下浸水・床上浸水し、全壊や大規模半壊といった損害を受けました。中には、ガス・水道・電気が使用できなくなり、住まいそのものを町営住宅や仮設住宅へと移転しなければならない事態になり、未だにその状況が続いています。罹災証明や生活再建などが追い付いていない地域があります。川上村高原地区では、停電が数日間起こったそうです。

「何かに100%依存して生活することはできない。」と大辻さんは断言する。


大辻孝則さん。川上村生まれ、育ち。高校時代、大学生活前半を除き川上村で過ごす。大学生活後半からは、大阪の大学へ週4回3時間かけて通っていた。川上村役場に就職後は村内の水道インフラを担当し、現在は防災などを担当している。早稲田さんとは、川上村で長く続く和太鼓活動グループで知り合う。

「今は水道や電気が使えるのは普通だけど、『やーめた』って言われたら終わりじゃないですか。だから自分でもできるように維持しないといけない。この前の豪雨でガス・水道は問題なかったが、4日間電気が止まった。早く寝ればいいだけ。昼は平気だし、夜はろうそくで充分。」(大辻さん)

●家計は1つ、財布は別。

「家族を扶養するために働いているわけじゃない。対価を頂いているだけ。」
「常に自由でいられるためにお金をプールする。いつでも動けるようにしている。ローンを組みたくないし、家を買う気がないし、負債もない。ローンを払うためにリスクを負うこと自体幸せじゃない。(川上村に)こだわっているわけではないが、この先も(移動することは)あり得る。1,2年後どうしているか分からない。今のままが正解だと思っていないから、いなくなるかもしれない。」(早稲田さん)
  
月末に1回家計会議を欠かさず、常に自分たちを振り返る場を必ず日課ならぬ月課としているそう。きちんと時間を設けていることで、気持ちや考えの隔たりを分かり合う素敵な取り組みだと感じました。

●当たり前が、意外に。地元を再編集する。


「本当の対話がしたい。ここで暮らす中で嫌な思いは特にしていないが、世間話くらいしかできないことが苦痛だった。<世間話>より【自分】の話をもっとしたい人、ほかのコミュニティを求めている人はいる。それを川上村で作りたい。『自分が楽しい』と思えるような価値をこれからも創っていきたい。」(早稲田さん)

「ここは〇〇だからすごいというのはない。あっさりしている。しかし今まで自分が当たり前だと思っていたことが、村の外から来た人にとってはもっとすごいことだった。自分にとって水がきれいなのは、当たり前だった。しかし『(水を)生で飲むっていうのが、すごいんだよ』って村にいる人たちに伝えていくのが面白い。」 (大辻さん)

…自分自身との対話を常に心がけ、家族一体となり試行錯誤を重ね続ける姿勢と行動に驚かされるばかりでありました。【生活の本質と哲学】を追求し続ける、ある種の<貪欲さ>は、<誠実さ>と捉えることができるのではないでしょうか。そして、その過程に生じる<葛藤>を現実に昇華させようと、生活そのものへリアルに落とし込むことを目指しているように感じさせられます。

だからこそ大辻さんは生まれ育った川上村に戻り、地域に必要なことと本来の自分自身の在り方を追求する中で早稲田さんは、お互いに出会うことになったのではないかと思います。

今でこそライフラインや営みが整っていることが当たり前になってはいますが、時代とともに大切な<何か>が消滅していること自体、私たちは忘れてしまってはいないでしょうか。そして大事な信念を前例踏襲が故に四方へと垂れ流したまま、本来は望んでいないことを望むようになり、消耗してはいないでしょうか。

実はあなた自身の心の奥底にいるけれど、まだ眠り続けているだけかもしれません。まだ保留し続けている選択を、もう一度掘り起こしませんか。

私もそういう生活の理想を追い求めてみたいです。




手づくりの幸せが息吹く、豊かな暮らし。 山の上で紡がれる「あたらしい家族」形とは?

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は大辻孝則さん・早稲田緑さんをインタビューし、インタビューに参加した5名(久保田紗佑歌さん、小池悠介さん、齊藤美結さん、若林佐恵里さん、花輪佑樹さん)が記事を作りました。川上村のホームページには小池さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、齊藤さんが作った記事を掲載します。

手づくりの幸せが息吹く、豊かな暮らし。
山の上で紡がれる「あたらしい家族」形とは?

「しあわせとは?」

いま、自分の胸に手を当てて、耳を澄ませて、ちょっぴり聴いてみましょう。


さて、答えは出ましたか?


この問いにすぐ答えられるひとは、あまり多くないように思います。


わたしも、そのうちの1人でした。


でも今回のインタビューを通じて、わたしの「しあわせ」の輪郭が、昨日より少し浮き彫りになった。


「いらっしゃ〜い!」


秋晴れの昼下がり、私たちを笑顔で手を振りながら迎えてくれたのは、孝則さん。
わざわざ、家の下まで降りて迎えに来て下さっていた。
目の前に映る、伸びやかに広がる青空と山のように、心にさわやかな風が吹いた。


今回、お話を聞かせていただいたのは、早稲田緑さんと、大辻孝則さん。
お二人は世間でいう、「事実婚」をされているご夫婦だ。
みきと君という保育園に通う息子さんと、おなかの中にもう一人、お子さんがいらした。


ひとことで2人を表現すると、風の人と土の人。
山の上の暮らしには、昔ながらの先人の知恵のもとに、二人にしか生み出せない風土が根付いていた。


早稲田緑さんは、東京生まれ東京育ちの超都会っ子。
新卒で東京の翻訳会社で営業として3年勤めていた。ご自身でも「バリバリの営業マン」だったと言う。現在は、企画会社に週4回在宅勤務で勤める正社員である。
一方で、大辻さんは川上村生まれ。一時期大学で大阪に出てはいたが、川上村へUターン。はじめは林業の仕事を行った後、10年以上川上村の役場に勤めている。


正直経歴を聞いただけでは、
二人は一見正反対に見えた。


活動的で社交的な、緑さん。
比較的物静かで職人気質の、孝則さん。


2人が出会い、なぜ一緒になったのか気になった。
でも話を聞いていくと、腑に落ちていった。
ふわふわ海にコインが沈むように、ゆったりと理解できていった。


いのちの根っこの部分がぴったり重なっていたのだ。


「自分の心地よいところまでしかやらないと決めています。」
緑さんが、芯の通った声で、澄んだまなざしで言う。



「例えば、100円しか持ってなかったとすれば、どれだけソーシャルなものが200円だとしても、それは買えないですよね。だって、100円しか持ってないんですもん。(笑)だから100円しか持っていなければ、その範囲でできることをする。それはみんな一緒だと思います。」


続けて緑さんは言う。


「こう、なんというか、やってみるしかないというか。自分が生きてみるしかないんですよね。」


自分の身の丈を理解しているからこそ、
伝えられるメッセージの力強さや信憑性みたいなものが、不純物がない形で生まれてくるのかもしれない。

人が表面的に見えている言葉や考えは、その人を形成している概念の2割だと言われる。
だからこそ、8割が持っている「じぶん」をできるだけ表現していく。
緑さんは、そのプロセスの中で「生きる」ことを、一歩ずつ、たいせつに、暮らしの中で、踏みしめていた。


《ひとが、ひとで、あれるように。》
この一貫した考え方のもと、ご夫婦の暮らしは紡がれてきていた。


例えば家族会議。
なんと毎月話し合いをして、議事録を書いている。
(実施日、実施時間、議題、などものすごく本格的な記述だった。(笑))
その議事録はリビングの壁に見えるように飾られている。


項目は、今月できたこと、やり残したこと、気になっていること、すぐにやりたいわけではないけどゆくゆくやってみたいこと、など。


そして驚くのが、収入は別家計簿ということ。
支出も役割分担。
家計簿は、互いに見せられるようにしているそうだ。


「家族を養うために仕事をしているわけではないので。自分のパフォーマンスに対しての対価をいただいているだけ。この土地にはこだわっていません。」孝則さんは、話す。


やりたいことを、お互いにやる。
その哲学が貫かれていた。



ひとりだけど、ふたり。
ふたりだけど、ひとり。
このことばが、ぴったりだった。


●川上村という土地が自分たちの幸せにたまたまフィットしただけ。


では、なぜこの川上村という舞台で暮らしを営むのか。


答えを聞いてかなり驚いた。
川上村を元気にしたい!という力んだ発想ではなく、高原に住まう二人。


自分たちの幸せにとって、川上村という土地がたまたまぴったりだった。
チューニングした結果、川上村の高原、という土地だった。


なんてシンプルなのだろう。


「ぼくたちね、余計なもの持ってないんです。」
孝則さんは言う。


「家賃を払うために働くことはしたくなくて。それは、ぼくたちにとっては幸せじゃないんです。動きやすく、身軽に生きたいんですよね。」


ミニマリストが謳われるこの世の中で、
孝則さんの言う「身軽さ」は少しそれとは違う気がした。


純粋に生きるための「必要なもの」だけを、大切にしたい。
それは、愛する家族や、美味しい空気や水、自分らしくあれる自然の景色。


ミニマムではなく、マスト。
必要最低限まで、マストを淘汰して、その結果「身軽さ」を手に入れていた。


続けて孝則さんは言う。
「水が出るのも当たり前、電気がつくのも当たり前。電車も少し遅れたら謝ってもらえる。お金の対価としてサービスを受けている。でも、もし「やーめた」と言われれば終わりですよね。依存しすぎだと思うんです。」


たしかに、そういわれてみれば、、とはっとする。
孝則さんの持つ生命力の強さ。


それは、自然豊かな川上村だからこそ生まれた、ひとつの大きく広い愛の形にも思えた。



事実婚を選んだ理由も、そうだった。
「自治体が管理をするために導入した制度ですからね。特に必要ないと思ったんです。」


私たちは知らず知らずのうちに、
「誰かの都合」で生きている時間が増えてしまったのかもしれない。


私は、25歳社会人3年目の独身女性。
結婚、出産、仕事。。。
ライフスタイルを、どうやってデザインしていけばいいか悩みもがいていた。


今回のインタビューで、ひとつ気づいたことがある。
それは、自分のしあわせは、必ずしも「多くの人が望むこと」とイコールではないと。


自分のしあわせは「手づくりしていく」ということだと。


では、どう手づくりしていくのか。
それは、自分と対話するしか方法はない。


いま世の中はどういう状況なのか、
これからどんなことが人の役に立つのか、
自分はどんな風になりたいのか。


ひとつひとつ、緑さんと孝則さんは、
世の中への問いと自分たちの答えを持っていた。


私の好きなコピーライターに、岩崎俊一さんという方がいる。
その方の本の一説に、こんな一文があったのを、ふと思い出した。


「幸福になること。人は、まちがいなく、その北極星をめざしている。」


北極星は常に変わらない位置にあるらしい。
つまり消えることはない。見えないときは見えてないだけなのだ。


緑さん、孝則さん、みきとくん、おなかにいる赤ちゃん。
奈良の山奥にある一軒家から、たしかにひとつのきらりと瞬く北極星を目指していた。



そんなとき、ポツと疑問が浮かんだ。
結婚とか出産とかって、わたしにとっての北極星だったっけ?


いや、待てよ。
それをするためにわたしは生まれてきたんじゃない。


では何のため?
自分が幸せになるために生まれてきたのだった。


あたりまえのことをすっかり忘れかけていた。


「自分の幸せ」へ歩んでいく中で、
愛する人と一緒に生きること、
その人との間に命を授かること、
それが自然発生的に生まれてくるだけだ。


なんだか、一気に肩の荷が下りた気がした。


「私は、ひとりの人間として、幸せという名の北極星に向かって歩めばいい。それだけだ。」


最後に、みきと君のすごいところを、私はどうしてもこの記事で伝えておきたい。


お二人の息子さん、みきとくん。
月並みの表現にはなるが、ほんとうに食べちゃいたいくらい、かわいい。
人懐っこく、だれにでもフレンドリー。


この、のびのびとした性格は、高原の自然豊かな景色を毎日見ながら育っているからなのかもしれない。常にご機嫌だそう。

彼がひとこと発すると、どこか澱んでいた空気が、すっと清らかになる。
まるで、山から流れ出てきた湧き水のように。
まるで、魔法つかいみたいだった。



そんな彼は、アンパンマンのおもちゃ携帯を手にして、
インタビュー中もひたすら私たちの集合写真を撮ってくれていた。
(もちろん現実世界には写真は存在していない。(笑))


それも、なかなかにいろんなルールがあった。
写真を撮る時には決まって、被写体の私たちは、この言葉を言わなければならない。


「みぃきぃとぉのしゃしん〜〜!ぱしゃ!」


なぜいうかは、謎だ。
でもこのかけ声の周りには、美しくきらきらしたものが漂っていた。
陽の光に当たる、シャボン玉みたいに。


みんなの嬉しそうなかけ声と、
ひろと君の笑い声が響く山の上。


そこには、たしかに、ありありと。
心を緩やかにしてくれる幸せが奏でられていた。


その時、気づいてしまった。


「いや、みきとくんの撮った写真は、たしかに存在してる。」と。


目には見えないかもしれない。
でも、あたたかくふんわりとした何かが、
彼の目にはその瞬間、確かに写っていたのだ。
くっきりと鮮明に、彩られているんだ。


だから、写真を撮り続けているのだと。


「写真ってこの携帯で本当に撮れてるんですか?」と、
緑さんに聞いてしまった自分がなんだか、とってもちっぽけに思えた。


そんなみきとくんが、秋晴れの空のもと、
私に「どうじょ」と、小さな手から渡してくれた柚子からは、山の上の手づくりの幸せが、今も香る。



生きることは、簡単ではない。


でも、一つわかったことがある。


ほつれたら、縫い合わせればいい。


壊れたら、修理すればいい。


なければ、つくってみたらいい。


「自分の幸せ」を、こつこつ手づくりしてみませんか?

これがきっと、自分の北極星に向かって、豊かな暮らしを手作りする一歩になるのかもしれません。


2018年11月5日月曜日

心も体もあたたかく。 移住1年目の僕が移住20年の陶芸家・鈴木夫妻にきいた、村で暮らすということ。

川上村では、色んな人が参加しながらホームページを使って情報発信する「 むらメディアをつくる旅 」を開催しています。今回は「いにま陶房」の鈴木雄一郎さん・智子さんをインタビューし、インタビューに参加した3名(冨羽一成さん、山口桃佳さん、山本英貴さん)が記事を作りました。川上村のホームページには山本さんの記事を代表例として掲載しています。本記事では、冨羽さんが作った記事を掲載します。

心も体もあたたかく。
移住1年目の僕が移住20年の陶芸家・鈴木夫妻にきいた、村で暮らすということ。

秋も一段と深まり、日が陰ればすこし肌寒ささえ覚える。この取材時、僕は川上村へ移住してきて約1ヶ月。この時まだ、僕の住む家にはまだ暖房器具がなかった。

 多くの人に口を揃えて「川上の冬は厳しいぞ」と教えられる。もちろん、移住するにあたって冬の厳しさはある程度理解していたつもりだが、10月中旬にして明け方は10度を下回り、身をもって「やばい」と感じている。そこで、川上村へ移住してきて20年を迎える陶芸家の鈴木夫妻に、冬を乗り越えるための知恵も含めて、お二人の暮らしや作家活動、考え方についてお話を聞かせていただいた。


●使い手の気持ちに寄り添う陶芸家

 夫の鈴木雄一郎さん(以降、雄一郎さん)、妻の智子さんは川上村内の「匠の聚」で陶芸家として活動している。「匠の聚」とは、芸術家の移住者が集うアートの里で、作品展示、販売、体験工房など、アートに身近に触れられる場所だ。鈴木夫妻は主に、食器などの作品を制作している。夫婦間で扱う素材や質感の違いはあるが、「使いやすさ」や「さりげない気遣い」を大切にした、使い手の気持ちに寄り添う作品づくりをしている。

食器のふちに“かえし”がついた作品。そっと親指を添えたくなるようなデザイン。
豆つぶなどを手を汚さず、最後の一粒まですくうことができる。

●体も心もあたたかく

 まずは冬の対策について聞いてみた。鈴木夫妻によれば、ファンヒーターが経済的、実用的にいちばんオススメとのこと。移住してきた当初は石油ストーブを使っていたが、あたたかいけど燃費が悪く、灯油代が高くついてしまったらしい。

 川上村の冬の寒さは「さむい」というより「痛い」。以前、豪雪地帯に住む友人が遊びに来た時、「こっち(川上村)の方が寒い」と言っていたのだという。北陸などの豪雪地帯は積もった雪が壁となり、風が体に当たることが少ない。それに比べて川上村は、雪が積もること自体は少ないが、冷たい風を遮るものがないため体の芯から冷える。

アトリエ内。たくさんの作品であふれている。下には寒さを
しのぐためのファンヒーターもある。

 智子さんは、寒さは体だけではなく、心までも陰鬱な気持ちになってしまうから早く寒さ対策をした方が良いと教えてくれた。智子さん自身、気分が落ち込んだ時は、心の電気をつけることを意識している。朝起きて気分がのらない時は、「ああ幸せ!」と口に出し、スイッチを入れ替える。自分自身が幸せでなければ、幸せを届けられる作品を作ることもできない。しかし、最初から気持ちの切り替えができていたわけではないという。

2階へと上がる階段には様々な作品がずらり。
それぞれにどんな「気遣い」が込められているのだろうか。

●試行錯誤で生まれる可能性

 移住してきてから2人とも落ち込んでいる時期もあった。移住当初は陶芸家としてやっていける見込みがあった訳ではなく、不安定な暮らしであった。貯金を切り崩し、とにかくお金を使わないように節制していたという。ひたすらアトリエに籠り、黙々と土と向かい合う日々だったという。

「人は追い込まれたときじゃないと、色々なことを考えない」と雄一郎さん。そういう時期があったからこそ生まれたものもある。全国各地の陶器市に出店し、まとめた量を売って生計を立て、百貨店の催事に出品するなど、地道に販路を広げた。また、当時インターネットが現在ほど普及していない中で、自分なりにWebサイトも作った。そんなある日、「クラフトフェアまつもと」の応募に通り、出店できたことが大きな転機となり、仕事の幅が広がった。


 また子どもにも恵まれ、少しずつ行動範囲がひろまっていった。そうすると、だんだん見える景色も変わり、地域とのつながりが広がると実感しているという。先日、僕が「川上村大運動会」に参加したとき、我が子を応援する「両親」としての鈴木夫婦の姿があった。

 現在、地域とのつながりを大切にし、一緒に作品を作り上げる喜びを感じてもらえるようなワークショップを行うなど、地域活動にも積極的に取り組まれている。

●暮らしを豊かにしていくには

 村で暮らしていく上で最も重要なことは、今自分のいる場所が一番だと思うことだと教えてもらった。「暮らす場所はどこでもよい。どこに住んでも不満は必ず出るものだから、ないものねだりをせず、あるもので考える。街にあって田舎にないものを考えても仕方がない」と雄一郎さん。

 住めば都というが、自分の意思次第で「都」になるということ。そうすることで、暮らしを豊かにするためのアイデアが自然と生まれてくるのではないか。僕自身もこれから村で暮らしていく上で、そんなことを大切にしていきたいと思う。